一色清の世の中ウオッチ 略歴

2014年04月01日

冤罪(えんざい)に思う「組織の圧力と個人の弱さ」 (第40回)

組織の論理に染まっていないか自己点検を

 一家4人殺害の犯人として48年前に逮捕され、34年間も死刑囚として拘置されていた袴田巌(いわお)さん(78)の再審開始の決定を静岡地裁が出しました。それに伴って袴田さんは釈放されました。地裁は、捜査機関の証拠捏造の疑いまで指摘し、袴田さんは冤罪だった可能性を強くにじませました。まだ地裁の再審開始決定の段階で、無罪が確定したわけではありませんが、私も含めて多くの人が「こんなおかしな証拠をもとに死刑を宣告されていいものか」という怖さと怒りを覚えたと思います。

 すでに確定した冤罪事件は少なくありません。4歳の女の子が殺された足利事件で無期懲役が確定していた菅谷利和さんが再審で無罪になったり、厚生労働省の局長だった村木厚子さんが障害者郵便制度悪用事件で逮捕、起訴されたものの無罪となったりしました。ごく最近では、パソコン遠隔操作事件で4人の人が誤認逮捕され、その後警察が真犯人と見て逮捕、起訴した片山祐輔被告も保釈され、無罪の可能性があると見られています。

 冤罪事件は、警察、検察が処理している事件のごく一部ではありますが、あってはならないことが起こっていることは事実です。私は、そうした間違いを生むのは、「組織の圧力と個人の弱さ」がベースにあると思います。これはどの組織にも多かれ少なかれあてはまるものです。
 組織の圧力というのは、いったん動き出したプロジェクトを途中でやめることを許さない空気です。つまり、動き出したプロジェクトを途中でやめると、損害が出ます。最後までやることで出る損害よりも小さいと判断した場合、途中でやめたほうがいいわけですが、官僚的な組織では、どうなるか分からない将来の損害より途中で出る損害を嫌うことが多いのです。なぜなら、プロジェクトをスタートさせることを決めた人たちが責任をとらないといけないからです。

 捜査機関にあてはめると、いったん容疑者を逮捕したら、有罪判決を確定させるまでこぎつけなければ、事件処理に関わった人たちが、何らかの責任を求められることになります。大きな事件だと、最高責任者の責任だって問われる場合があります。それを避けるため、何としても有罪まで持っていこうという組織の圧力が生じるのです。
 個人の弱さは、組織の圧力と裏腹です。途中で引き返した方がいいと頭では分かっていても、それは自分を含めた身内の責任を問うことになります。組織が責任をとることをいやがっている状態で自分が強く主張すると、組織内での自分の地位は危うくなります。ならば、組織が「こうあってほしい」と思っている方向に同調すればいいやと思ってしまいます。保身です。
 加えて、結果が分かるのにまだ時間がかかるのであれば、今自分が判断したり主張したりしなくても、先々の担当者が判断すればいいという先送りの心理も働きます。

 こうした「組織の圧力と個人の弱さ」が、結局、取り返しのつかないほどの間違いを生むことがあるのです。
 「自分は将来こうした間違いをしたくない」と思う人は多いでしょうが、簡単なことではないと思います。私がアドバイスできるとすれば、「組織の論理に染まっていないか、しょっちゅう自己点検をする」ということでしょうか。
 会社に入ると、仕事のことばかり考えるようになりがちです。人間関係も、同じ会社の同僚や上司に偏りがちです。若いうちは、自分の軸が定まっていない人が多いと思います。そうなると、あっという間に会社の論理に染まります。自分を振り返っても、就職して半年もすれば、学生時代のものの見方や考え方が、大きく変わっていたように記憶しています。

 会社に入っても、オフは仕事と離れたことに時間を使い、仕事と関係ない人と付き合う。そして、できるだけ自分の会社や自分を、外の社会と比べて客観的に見ることができるようにする。こんな心構えを持っていたいものです。会社の採用担当者だって、会社の論理にすぐ染まるような人がほしい、とは思っていないはずです。

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