一色清の世の中ウオッチ 略歴

2013年12月26日

2013年は1987年に似ている (第28回)

バブルの入り口かもしれない

 「ゆく年くる年」を考える時期になりました。時は止まることなく流れますが、年に一回くらいは意識的に立ち止まって、過去と未来に考えを巡らせることは、人生のメリハリになります。ふつうは自分自身の「ゆく年くる年」を考えればいいのでしょうが、私はこうしたブログに書く立場上、ちょっと大きく、日本の「ゆく年くる年」を考えたいと思います。

 2013年って、1987年に似ていると、最近、私は考えています。1987年といえば、「バブル景気」と言われた狂乱の時代の入り口の年です。似ていると思う理由をいくつか挙げてみます。
 まず、一つは政府の手法です。1985年にプラザ合意という先進5カ国による為替に関する合意があり、急速に円高が進みます。日本経済は一時的に不況に陥りました。円高不況です。これに慌てた政府は、補正予算を組んで公共事業などにお金をつぎこみます。そして金利(公定歩合)をどんどん下げて、お金が市中に出回りやすくしました。これは、アベノミクスに踏み切った今の政府と基本的に同じやり方です。デフレを何としても止めないといけないと、金融をものすごく緩和して、財政も出動させました。その効果として、2013年は日経平均株価が60%近く上がりました。これは、87,88,89年のバブル期のどの年よりも大きな値上がり率です。

 二つ目は、人手不足です。「大工さんが足りなくて、日当が3万円も4万円もしている」という話に驚いたのが87年でした。そのうち、新聞社の足元でも「新聞配達する人がいない」といった人手不足の話が聞かれるようになりました。今も、公共事業の予算が、建設会社の人手不足で消化されなくなっています。とび職や型枠工といった特別な技能を持つ建設作業の人は、何万円もの日当を出しても不足しているということで、87年にそっくりです。

 三つ目は、東京集中です。87年ごろ、あふれる日本のお金に群がるように外国の投資家が東京にやってきます。彼らは、こうしたお金を「トーキョー・マネー」とよんでいました。「ジャパン・マネー」ではなかったのです。東京への一極集中が問題になったのもこの頃で、首都機能を移転する法律が成立しました。時はたって今も、東京が焦点です。もともと東京一極集中が再び問題になりつつあったところへ、2020年東京オリンピック開催が決まり、東京と地方の繁栄格差が広がりつつあります。

 四つ目は、世相です。サラリーマンがバブル期の光景として一番覚えているのは、夜遅くまで交際費で飲み食いし、タクシー券を振りかざしながらタクシーを必死で奪い合った姿ではないでしょうか。この光景が再現する可能性が、この年末の政府の動きから見えてきました。まず、交際費の減税です。かつてのように、大企業にも交際費を経費として認めるようにしようということです。もう一つは、タクシーの規制強化です。タクシーの台数を制限しようというわけです。ほかにも、高額商品が売れている、とか、バブル期と同じように口紅の流行色が赤になった、とか、バブル期の入り口を彷彿とさせる世相を伝えるニュースが流れています。

 景気がいいのはいいことです。就活だって、氷河期より売り手市場のほうがいいに決まっています。でも、バブルはいけません。いっときの幸福より、崩壊後の不幸のほうが大きいというのは、歴史が物語っています。
 88年以降、日本はどうなったでしょうか。87年後半には、株価が暴落するブラック・マンデー(暗い月曜日)がありましたが、バブルの勢いはそれを乗り越え、狂乱の度合いを強めます。89年には昭和が終わり、4月には3%の消費税が導入されましたが、それでも勢いは衰えません。結局、4年余にわたって続いたバブル景気は91年に崩壊しました。株価や不動産の価格はピークの何分の一にもなり、その後今に続く長い停滞期に入りました。

 2013年がバブルの入り口に似ているとしたら、2014年はどんな年にしたらいいのでしょう。大きなバブルを膨らませないようにしたいものです。そのためには、一人一人が「調子に乗らない」ことです。実力以上の評価や生活は、あとで揺り戻しが来ます。小さいけれど着実な成長が一番いいのです。