一色清の世の中ウオッチ 略歴

2013年10月17日

「チキン・ゲーム」より「負けるが勝ち」 (第18回)

一抹の不安覚えた米国議会発恐慌

 「チキン・ゲーム」っていう言葉を知っていますか。臆病でないことを競うゲームです。「チキン」はもちろん「鶏」ですが、「臆病」という意味で使われることがあります。1955年のアメリカ映画の傑作「理由なき反抗」では、主演のジェームス・ディーンが不良少年バズと、クルマで崖に向かって走る対決をします。ぎりぎりまで運転していた方が勝つ度胸比べです。ディーンはぎりぎりでクルマから飛び降りますが、バズは崖下に落ちて死んでしまいます。典型的なチキン・ゲームです。譲歩する屈辱を選ぶ方が譲歩しないときに招く災いよりずっとましなのに、負けるのがいやで重大な結果を招いてしまいます。ただ、こうしたことは不良少年たちの度胸試しの世界のことだけではありません。世界の歴史をみてもよくあることです。

 米国では債務上限の引き上げ問題で民主党と共和党がぎりぎりの折衝を続けました。債務上限というのは、アメリカ政府が借りることのできるお金の上限で、法律で決めています。アメリカは借金で財政をまかなっていますから、借金は増え続けていて、放っておくと上限に来てしまいます。これを引き上げる法律を通すことで、借金財政を続けることができるわけです。もし上限引き上げができなければ、米国債の償還(借金の返済)や金利支払いができなくなります。となると、米国債の価値が落ちますから、米国債は暴落し、金利は上がり、株は下がり、ドルも下がるという世界経済の大ショックが起きます。日本の就職戦線だって大きな影響を受けます。
 こうした結果を招くことが分かっているのだから、民主党と共和党は妥協をして引き上げ法案を通すだろうと普通は思います。ただ、そこがチキン・ゲームの怖さで、相手より早く、大きく譲歩することはできないと思っていると、崖の手前で止めることに失敗することがあるのです。結局、今回は妥協が成立して崖を先にのばすことになりました。たかをくくってはいけないというのは、歴史が示すところです。

 1991年にアメリカを中心とした多国籍軍とイラクが戦った湾岸戦争は、チキン・ゲームの崖を超えて始まってしまった戦争でした。その前年の8月にイラクは突然クウェートに侵攻し、占領しました。アメリカなど世界の主要国はイラクを激しく非難し、期限を決めて無条件で撤退するように求めました。アメリカなどの多国籍軍と戦争をすればイラクに勝ち目はないことは分かっていましたが、5カ月余に及ぶ様々な駆け引きの末、期限までに撤退せずに戦争が始まりました。イラクは多数の戦死者を出して敗走しました。

 1980年に日本の国会であったハプニング解散も、チキン・ゲームの末の解散でした。野党が内閣不信任案を出しました。与党の自民党は解散する予定はありませんでしたから、不信任案を否決するはずでした。ただ、自民党は主流派と反主流派が争っており、不信任案を採決する本会議の始まりを知らせるベルが鳴っても本会議場に入らない与党議員が相当数いて、不信任案が通ってしまいました。誰も予想しなかった衆議院解散となってしまったのです。

 そういえば、太平洋戦争も、日本とアメリカのチキン・ゲームの末に始まったと言えるかもしれません。中国などからの撤退を求めるアメリカに対し、日本にも譲歩したほうがいいという意見がなかったわけではありません。ただ、全面譲歩をするわけにはいかず、アメリカ側の主張を途中まで押し返すやりとりを続けた末、日本は開戦への意志を固めていくわけです。臆病者と言われたくなかったのでしょう。

 日本の格言「負けるが勝ち」は、かなり深い意味があります。チキン・ゲームで大きな災いを生まないために、譲歩すべきところはさっさと譲歩しましょうと言っているわけです。私は、この言葉が「継続は力なり」の次に好きです。

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