一色清の世の中ウオッチ 略歴

2013年09月05日

マイクロソフト転落の教訓 (第12回)

短くなる「栄華の時代」に備えよ

 ある年齢になると、急に同級会、同窓会が多くなります。だいたい50歳くらいからでしょうか。仕事の忙しさが一段落し、新しい人間関係も減り、気の置けない学生時代の仲間たちが急に懐かしくなるようです。

 8月下旬、私も大学時代のクラスメイトで集まりました。ちゃんとした同級会ではなく、仲のよかった者たち6人のこぢんまりとした集まりでした。大学を卒業して35年、みんなゴールが近づいてきている年齢です。
 6人のうち、入ったところと今いるところが同じなのは、私と都庁に勤めている友人の二人だけです。銀行に入った2人は90年代後半の金融危機を経て、1人は中堅の商社、1人は大学の先生に転身しています。自動車メーカーに入った男は、その会社が経営危機を迎えたときに辞めて今はコンビニ会社の役員です。電機メーカーに入った男は、リストラの流れに嫌気がさし、社会保険労務士になりました。4人は、この35年、経済変動の荒波を乗り越えてきたわけです。

 この集まりのあった翌日の新聞に、「マイクロソフトCEO、バルマー氏退任へ」という記事が載っていました。マイクロソフトは、パソコン離れで業績が伸び悩んでいます。新しい事業モデルに転換しなければ生き残れない状況で、新しいリーダーにそれを託そうということのようです。
 マイクロソフトといえば、ビル・ゲイツ氏のもとで、パソコンの基本ソフト(OS)を独り占めして、90年代には「世界を支配するマイクロソフト帝国」と言われたほど強大な会社でした。それが、21世紀に入ると、グーグルなどのネットサービスに押され、パソコンからスマホへの移行にもついていけず、苦しんでいるわけです。栄華は10年間くらいだったでしょうか。
 その打開策として、9月3日には、フィンランドの通信機器大手ノキアの携帯電話事業部門を買収すると発表しました。ノキアもスマホに乗り遅れ、苦しんでいます。この発表を受けてマイクロソフトの株価は、急落しました。市場は「弱者が弱者を買ってもうまくいかない」と冷たく見たのです。

 やはり90年代にパソコンの半導体で「巨人」と言われたインテルも今、もがいています。減益決算が続き、5月には、トップが交代しました。
 一時は世界最大のパソコンメーカーだったデルも苦闘中で、今年になって公開していた株をすべて買い戻して非公開会社にしました。思い切った立て直し策をするためです。
 
 目を国内に移しても、転落劇があります。日本が誇るSNS(ソーシャル・ネットワーキング・サービス)の星だったミクシィが、苦しんでいます。パソコン向けで大成功したのですが、スマホへの対応が出遅れてしまったためです。5月には社長が代わりました。
 携帯電話向けゲーム大手のグリーも、業績が悪化しています。つい昨年、もうかりすぎて、「新入社員の年収が1500万円」というすごい話があったほどですが、来年6月期の業績予想は「合理的な算定が困難」とするほど視界不良の世界に入っています。
 ITの世界は、変化のスピードが早いため、浮き沈みの激しい世界です。ただ、大変だろうなあと思うのは、その浮き沈みの間隔がどんどん短くなっていることです。ミクシィが「わが世の春」を謳歌できたのは5年くらいでしょうか。グリーは、もっと短く、2年くらいだと思います。

 昨年、私は週刊誌「アエラ」の編集長をしていました。表紙を「旬な人」の写真で飾る雑誌です。その表紙担当者が、「編集長、お忍びで来日しているフェイスブックのマーク・ザッカーバーグさんが表紙に出てくれるそうです。インタビューもOKだそうです」と興奮して報告にきました。私も思わず、「やったな」と大きな声を出しました。世界中のメディアが単独インタビューをしたいと思っている「旬な人」でした。私の二度目のアエラ編集長時代のいい思い出の一つです。

 ただ最近気になるのは、ザッカーバーグ氏の話題があまり出ないことです。業績も一時の勢いはないと伝えられています。あの表紙撮影をしたときの思いっきりの笑顔が、今、曇っているのではないでしょうか。わずか1年半ほど前なのですが、ずっと昔のことのような気がします。
 今のところ、激しい栄枯盛衰はIT業界で顕著ですが、変化はすべての業界に及んでくるでしょう。私たちの時代でも、定年まで同じ会社に勤めることが難しかったのですから、今の就活生は、定年まで同じ会社に勤められるなどと思わない方がいいでしょう。

 その場合、大事なのは、柔軟な思考力や人脈、どこへ行っても使えるスキル、タフな心、といった「変われる力」です。今は「とにかく会社に入ること」で頭がいっぱいでしょうが、その後のことも考えて、「変われる力」を頭の片隅に置いていたほうがいいと思います。

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