一色清の世の中ウオッチ 略歴

2013年09月12日

「グローバル人材」って何だ (第13回)

東京五輪決定の日に大阪で熱く語る

 2020年夏季オリンピックの開催地が東京と決まった日、私は大阪に向かいました。ある大学が主催する「グローバル人材の育て方」をテーマにしたシンポジウムのコーディネーターを務めるためです。オリンピックといえば、まさに最大級のグローバルなお祭りです。それを支えるためには、グローバル人材がたくさん育っていく必要があります。シンポジウムの口火は、オリンピックの話題から入ろうと新幹線の車中で考えていました。

 大阪に着いて会場まで電車に乗りました。休日の昼間ですから、若者や家族連れがおしゃべりをしています。それとなく会話を聞いていましたが、オリンピックの話題がありません。楽屋でも、関西に住んでいる方たちといろんな話をしましたが、オリンピックの話は私が持ち出すまで出てきませんでした。どうも大阪は東京ほどオリンピックで盛り上がっていない気がしました。

 東京周辺に住んでいる人にとって、東京イコール日本と思ってしまうところがありますが、東京と日本は違うということに改めて気づきます。喜びに温度差があるのは、当然でしょう。しかも大阪は2008年夏季オリンピックの開催を目指していたのですが、2001年のIOC総会で北京に負けて、断念した経緯があります。大阪だけではありません。名古屋は1988年の開催を目指しましたが、81年のIOC総会でソウルに敗れました。福岡は2016年開催を目指したのですが、国内での争いで東京に敗れ断念しました。こうした都市の人は、「東京だけどうして2度も」と心の中で思っているのではないでしょうか。結局、シンポジウムでは、オリンピックの話題はやめにしました。

 とはいえ、どこに住んでいようが、グローバル人材が時代に求められていることは間違いありません。人、モノ、カネ、情報が国境を越えて自由に行き来できる時代になってきたためです。シンポジウムで壇上に並んだ発言者は、シンポジウムを主催した大学の有名国際派教授2人とグローバルに活躍している卒業生1人、そしてポーランドに留学している現役の学生1人の4人でした。とても面白い話が次々に飛び出して、会場は盛り上がりました。

 私がシンポジウムを通じて感じたグローバル人材のためのキーワードは、「個性」「教養」「英語」「挑戦心」の四つでした。教養について、ポーランドに留学している学生は、こんなことを言っていました。「私の名字は黒沢なので、現地の人からよく黒澤明監督の親戚かと聞かれます。それはノーと言えばいいのですが、自分が黒澤監督の映画を一本も見たことがないので、それ以上話が続きません。見ておけばよかった」。確かに、アメリカから日本に来ている留学生の名前がスピルバーグ君だとしたとき、私でも「スピルバーグ監督の親戚か」と聞くでしょう。その留学生がスピルバーグ監督について名前しか知らず、映画は一本も見てなかったら、ちょっとがっかりするでしょうね。

 他の発言者からも、「英語のうまい下手よりも話の中身の方が何倍も大事だ」という意見が出ました。これも時々聞く意見で、外国語のできない私などは、少しほっとするところがあるのですが、この場合の「下手」は私たちが考える「下手」よりずっと「うまい」レベルのことをいっているのだろうと思います。黒沢君は「そうはいっても、単語が出ないとコミュニケーションが始まりません。基礎的な語学力は絶対必要です」と言っていました。英語はあくまで道具ですが、道具がなければ始まらないのは確かで、語学力と教養はどちらも大事というしかないのでしょう。

 他にも、いまどきの留学や海外駐在の落とし穴の話も出ました。ネット社会がここまでくると、遠い異国にいることを感じない生活を送ることができます。無料のスカイプで日本の人と頻繁に話し、メールで友人と近況のやりとりをしています。ニュースも話題のドラマもスポーツもネットで見ることができます。「以前は、社会人でも留学には妻帯禁止でした。異文化を吸収するにはどっぷりとその世界に浸らないといけないという考えからでした」というのは、外交官経験のある教授でした。便利になったのはいいことですが、自ら何としても異文化に飛び込んでいくという覚悟を持たないと、何のために異国に来たのかという結果にもなる時代だということです。

 議論を終え、グローバル人材のための四つのキーワードの中で、挑戦心が一番大事だろうと私は思いました。やはり海外に身を置くことがまず必要です。逆に言えば、身を置けば、何とかなりそうです。最初の問題は身を置くかどうかですので、一歩踏み出す挑戦心が大事だというわけです。
 私は後悔しています。社会人になってから留学に行けそうな機会はあったのですが、日本の居心地の良さをとってしまいました。ちょっとした挑戦心が足りなかったのです。

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