一色清の世の中ウオッチ 略歴

2013年08月08日

TPPも怖くない「食材製造業」の未来 (第8回)

普通の会社に就職する感覚で「農」の世界へ

 会社の面接では時事問題について聞かれるかもしれません。世の中の動きをどれくらいキャッチしているのか、会社としては知りたいところです。来年前半までに出そうな話題は、なんと言っても消費税増税とTPP(環太平洋連携協定)でしょう。どちらも決断の時期が近づいていますが、賛成反対が交錯していますので、これからかなり騒がしくなることは間違いありません。

 そうした時期ですが、消費税はともかく、まだ「TPPって何?」という声をよく聞きます。何か突然TPPという言葉が降ってきて騒ぎになっている感じがして、「どうして今?」、そして「自分にとって得なの損なの?」というところで腑に落ちない人が多いようです。

 「どうして今?」については、まず、そもそもの大きな流れをつかんでおきましょう。世界の貿易や投資の自由化は、第二次世界大戦が終わった後、GATT(ガット、関税および貿易に関する一般協定)という国際機関で推進されてきました。もともと経済学では、貿易を自由にして国ごとに得意な分野に力を注いだほうが効率的だという考えがあります。加えて、戦前、仲のいい国同士が集まって「経済ブロック」ができて、そのいがみあいが世界大戦につながったという反省もあります。こうしたことから、GATTは共通のルールのもとに自由貿易を進めようとしてきたのです。

 GATTには世界の主だった国が参加して、何度も関税の引き下げなどを決めてきました。その決定のための会合はラウンドと呼ばれ、ケネディ・ラウンド、東京・ラウンドなどの名前がつけられてきました。1993年にはウルグアイ・ラウンドが決着し、各国の関税が一段と低くなったり、投資などのルールが一層自由になったりしました。日本のコメはこの時、輸入禁止から関税さえ払えば輸入できるように「自由化」されました。(ただし、関税率は778%と輸入前の値段の9倍近くになりますが)
 GATTはこの後、WTO(世界貿易機関)という名前に変わって、さらに大きな国際機関になりました。そして、21世紀に入って、新たな自由化を協議するドーハ・ラウンドを始めました。でも、ドーハ・ラウンドは、アメリカと中国、インドとの意見がどうしても折り合えず、2008年に合意寸前のところで決裂してしまいました。WTOではまとまらないと見た各国は、WTOに見切りをつけて、2国間や複数国間でバラバラに自由貿易協定を結ぶようになったのです。日本もすでにいろんな国と協定を結んでいます。TPPもその一環です。ただ、TPPは、国の数が多く、しかもアメリカが入っているため、日本にとっても世界にとっても影響の大きな協定になると見られて大きなニュースになっているわけです。

 「自分にとって得なの損なの?」は、どういう形でまとまるかとそれぞれの人がどういう立場にいるかによって違いますので、一概には言えません。今、日本でTPPに最も強く反対しているのは、農業団体です。高い関税で守られているコメ、麦、甘味資源作物、牛・豚肉、乳製品などは、関税がなくなればやっていけなくなると悲鳴を上げているのです。

 一方で、「農業は成長産業。TPPは怖くない」という声も強くなっています。政府の成長戦略を見ても、医療などとともに農業がこれからの成長分野に挙げられています。生産から加工、流通、消費を一手に担う6次産業化(1次産業2次産業3次産業)や世界の胃袋を相手にする輸出産業化など、可能性がたくさんあるというわけです。

 実際、若くてやる気のある農業者が新しい感覚で経営すれば、成功する例があちこちで見られるようになってきました。千葉県の農事組合法人「和郷園」は、近隣の92戸の農家を組織化し、自然循環型農業で作った野菜や青果など50品目の農産物を自前で加工して販売しています。そのほか、野菜カフェ、コテージ、温泉施設、貸し農園など幅広い農業関連ビジネスを展開していて、どんどん成長しています。92戸の農家の平均の売上高は4000万円になるそうです。
 和郷園の木内博一社長(45)は、「農業者ではなくて農業経営者でなければなりません。そして、やっているのは農業ではなくて食材製造業ととらえるべきです」と言います。つまり、農業は単に農作物を作ればいいというものではなく、いかに利益を上げるか、いかに付加価値をつけるかを考える自立した産業でないといけないというわけです。逆に言えば、そんな経営感覚さえ持てば、大きなビジネスになる可能性があることも示唆しています。

 そうした「農業への希望」は、新規就農者数にも表れてきました。2012年に新しく農業に就いた39歳以下の人は1万5030人で前年より5.7%増えています。2011年も前年より8%増えていました。40歳以上の新規就農者は減る傾向にあるのですが、若い新規就農者は増える傾向にあるのです。
 また、大学入試では農学系学部の人気が高くなっています。2012年の農学系学部の志願者数は、国公立、私立ともに4%増えています。2013年には、地域農業のリーダーとなる人材を育てようと日本農業経営大学校が東京に開校しました。「きちんと経営すれば農業は成長産業になる」という意識が若者の間に徐々に強まっているように見えます。

 そうはいっても、まだ兆しですので、「農業」を選択肢に入れる就活生はごくごく少数でしょう。ただ、「食材製造業」と言われれば、選択肢に入れてもいいかなと思いませんか。政府は現在、株式会社が農業に参入しやすくなるような規制緩和をしようとしています。農業に就くのではなく、食材製造業の会社に就職するという感覚になる日は近いと思います。