有名な人材でないシンガポールに反省も
シンガポールは、日本の教育制度にも刺激を与えています。OECD(経済協力開発機構)が行う「生徒の学習到達度調査」(PISA)で、シンガポールは日本の上位争いのライバルにあります。2012年のPISAでは、数学がシンガポールは2位で日本は7位、読解がシンガポールは3位で日本は4位、科学がシンガポールは3位で日本は4位となっています。いずれも、あとちょっとの差で日本はシンガポールに負けています。
シンガポールは、東京23区と同じくらいの面積の小さな国です。人材を育てないと生き残れないということで、国家予算の20%を教育につぎこんでいます。方針は、徹底した能力主義です。小学6年生終了時に全員を対象にした試験があり、その試験によって行く中学校が決められます。ここで大学に行くか専門学校に行くかといった将来の大まかな方向性が決まってしまうので、ママたちは必死になって小学生の子どもに勉強をさせます。塾通いは当たり前です。
また、試験科目は英語、第二外国語、算数、理科の4教科です。もともと実学主義の考えもあって体育、音楽、美術などの授業は少なく、試験科目でもないので、こうした教科はほとんど勉強しません。分かりやすく言えば、シンガポールの小学生教育は「詰め込み式のエリート発掘教育」なのです。
教育で有名な国としては、もう一つ北欧のフィンランドがあります。面白いことに、フィンランドの人口は540万人で、シンガポールの人口とほぼ同じです。少ない人口の国が生き残るには人材教育だという考えも同じで、国家予算の10%以上を教育につぎこんできました。ただ、方向性はシンガポールの逆です。昨年末来日したキウル・教育科学相によると、「できる子よりできない子を重視する」と言います。そして「競争よりも学ぶことの意味を教えます」。授業時間数はOECD加盟国の中で最も少なく、「生徒を教室に閉じ込めません」というのです。こうしたやり方であっても、PISAの上位の常連で、2012年は、シンガポール、日本より少し下ですが、数学12位、読解6位、科学5位です。
教育は、結局、どういう人材が育ったかです。この2国を見ると、シンガポールに反省が出ています。シンガポールから、スポーツや芸術の分野で有名な人が全くと言っていいほど出ていません。オリンピックには、1948年から出ていますが、シンガポールがとったメダルは、これまで全部を合計しても重量挙げと卓球の銀2個だけです。一方、フィンランドは夏冬あわせて、金142個、銀142個、銅171個です。フィンランドは、金メダル9個をとった長距離走者のヌルミ、スキージャンプの金メダリストのニッカネン、アホネン、アイスホッケーの大スター、セラニなどを輩出しています。
芸術分野でも、シンガポール人はあまり思い浮かびませんが、フィンランドはムーミンの作者のヤンソンや作曲家のシベリウスなどがいます。
実は、イメージと違い、有名起業家もシンガポールの場合、あまり多くありません。相続税が少ないため二世、三世が多かったり、外国人が起業する場として使われたりしているためです。一方、フィンランドは、携帯電話のノキアが世界市場を席巻したうえ、その後、スマートフォン時代に乗り遅れると、ノキアからスピンアウトした人材がIT系ベンチャーを次々に立ち上げて、今やフィンランドベンチャーは世界から注目される存在です。
シンガポールは最近、詰め込みで実学一辺倒の教育から、体育や芸術にも力を入れようとしています。でも、国民に染みついた詰め込み式の競争意識は簡単にはぬぐえないでしょう。シンガポールは、超合理主義で国家を運営してきましたが、もっと「ムダの効用」を覚える必要がありそうです。日本は、今目指すならフィンランドだと私は思います。