一色清の世の中ウオッチ 略歴

2014年01月30日

超ワンマン経営の会社はいいか悪いか (第32回)

旭化成の「怪物」の遺伝子

 サランラップやへーベルハウスといえば、どこの会社の製品か分かりますか。旭化成グループですね。駅伝や柔道が強いことでも知られています。この旭化成の社長交代の発表が1月24日にありました。71歳の会長と66歳の社長が退き、61歳の子会社社長が新社長になるというものです。これだけでは、大企業の普通の社長交代のようですが、実は、ある決意を感じ取ることのできる交代劇なのです。どういう決意かというと、超ワンマンのトップを作らないというものです。

 今の会長、社長が就任したのは2010年ですが、それは、1992年以来18年間、ワンマン会長として君臨していた山口信夫氏が85歳で亡くなったことによるものです。山口氏が会長に就いたのは、92年に31年間も社長・会長として君臨していた宮崎輝氏が82歳で亡くなったためです。旭化成は、一族経営でもないのに、二代続けて計49年間「死ぬまでトップ」が君臨した会社だったのです。

 私は、化学業界担当の経済記者時代の1988年、宮崎会長のインタビューをしたことがあります。経済界ではそのワンマンぶりが有名でしたが、想像以上の迫力でした。禿頭にギョロっとした目、こちらに質問するいとまを与えず、大声でまくし立てます。時々、室外に控える秘書に「あの資料を持ってこい」と大声で指示し、すかさず資料が届けられます。30代前半の若造記者だった私は完全に圧倒されていました。「怪物」という言葉が頭に浮かびました。

 宮崎氏が語ったのか、あとから側近に聞いたのかは忘れましたが、印象に残った話がありました。宮崎氏は、平日は郊外の自宅には帰らず、仕事に便利だからとお堀端の帝国ホテルを定宿にしていました。朝は、午前6時ごろにホテルを出て、早足でお堀の周りを歩くのだそうです。その際、ポケットに10円玉をたくさん入れて出ます。歩いている途中に仕事のことでひらめくと、公衆電話ボックスに入って、担当役員に電話をするのだそうです。(公衆電話は10円玉を入れてかける仕組みです、若者は知らないかもしれないので念のため)。役員は、早朝に電話が来るかもしれないと毎日戦々恐々で、6時前には起きて心を整えていたそうです。

 私がインタビューした88年、宮崎氏は役員になって41年たっていました。88年時点の役員が入社したときには、宮崎氏はすでに役員だったわけで、知識量も経験量も段違いなのは当然です。かしこまるしかないのも分かる気がします。宮崎氏のあとを継いだ山口氏は、宮崎氏の側近でした。宮崎氏の姿から学ぶところがあったのか、同じようなワンマン経営者の道を歩みました。

 ワンマン経営者の功罪はあります。功から言えば、会社のまとまりがよくなり、意志決定が早くなるということでしょう。罪から言えば、会社が萎縮する、士気が落ちるということでしょうか。加えて、歳をとると、理解力や判断力がにぶりがちです。誰もチェックできない状態で判断をあやまると、会社は大変です。仮によほど優秀で死ぬまで間違わなかったとしても、求心力のなくなった没後の経営が大変なのもよく言われることです。

 総合的にみれば、長期化したワンマン経営は罪のほうが大きいと言えるでしょう。事故や不祥事の続くJR北海道は、自殺した相談役が大きな力を持っていて、会長退任後も資格がないのに役員会に出席していたそうです。萎縮や士気の低下につながったのではないかと言われています。
 就活生は高齢者の話に興味はないかもしれませんが、会社に入れば、どういうトップがいるかはとても大事な問題です。高齢のワンマンが君臨している会社は、社風などをよく調べた方がいいかと思います。

 余談ですが、私が宮崎氏をインタビューした当時の旭化成広報部に前全日本柔道連盟会長の上村春樹氏がいました。宮崎氏にかわいがられ、旭化成の対外的な広報を担っていました。上村氏は、その後、全柔連の会長としてワンマン体制を作りました。宮崎、山口両氏の姿が脳裏にあったかどうか、それは分かりませんが、上村氏はそのワンマン体制が批判され、昨年、様々な不祥事の責任をとる形で辞任しました。

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