一色清の世の中ウオッチ 略歴

2014年01月23日

就活大失敗が導いた成功 (第31回)

卒業できなかったA君の「塞翁が馬」

 「一色さん、新作が出ますので、送りますね。読んでください」。30代の小説家A君からメールが来ました。彼は、すでに小説の単行本を何冊も出しています。すべてそれなりに売れていますし、映画になった作品もあります。最近は、あちこちで講演もこなしているようです。すっかり作家先生になったA君の活躍を、私はわがことのようにうれしく思っています。そしていつも思い出すのが、A君が真っ青になってやってきた10年ほど前の冬のことです。

 A君とのつきあいは彼が大学生の時からです。ひょんなことで知り合い、文章を書く仕事につきたいというA君の相談にのってきました。就職シーズンになると、文章を書く仕事のできる会社の就職試験を受けました。とても狭き門だったのですが、彼は内定をとることができました。強く希望していた会社でしたので、それはうれしそうでした。

 赴任先が決まったという知らせも受けて、あとは4月の入社を待つばかりだな、と思っていました。ところが、2月下旬ごろだったと思いますが、A君から「一色さん、話したいことがあるのですが、お時間はありますか」という電話がありました。電話口の沈んだ声を聞いて、すぐ会うことにしました。予想通り暗い顔をしたA君は、「実は、大学を卒業できなくなりました」と言うのです。卒業に必要な単位を取れなかったのだそうです。難関の入社試験に受かったのに、ほとんどの人がクリアする卒業に失敗したのです。驚く私に、A君は「私が、甘かったということです」と言うばかりでした。
 当然ながら、その会社に入るには「大学を卒業すること」という条件がありました。私は、「採用担当者に正直に話したうえで、何とか一年待ってもらえないかと頼んでみるしかない」と言うのが精いっぱいでした。A君はその足で採用担当者のところに向かったのですが、やはりダメでした。内定取り消しとなってしまいました。自分を責めるしかない理由で、入社直前に内定取り消しとなったA君のショックは大きかったようです。あとで、「半年くらい苦しみました」と言っていました。

 A君は、浪人や留年を経験していて年齢が高かったこともあり、大学を中退してフリーのライターを目指すことにしました。さぞ不安なスタートだったでしょう。ただ、A君は、親分肌でしかも人なつっこい魅力的な性格です。文章力もあります。そこに、何としても生き抜かないといけないという必死さが加わったからでしょう。あちこちの雑誌編集者からかわいがられるようになりました。ハラハラしながら見ていた私も、「この世界で生きていく力はある」と思うようになりました。そのうち、「小説が出ることになりました」という連絡とともに、単行本が送られてきました。さわやかな青春小説でした。私は感動して一気に読みました。

 A君がちゃんと卒業して希望の会社に入っていれば、今頃どんな人生を送っているでしょう。誰にも分かりませんが、今ほど自分の才能を発揮できていないのではないかと私は思います。A君は、就活の失敗者です。でも、失敗をバネにして大きく羽ばたきました。A君ほどの大失敗をする人はあまりいないでしょうが、希望の会社に入れないといった小失敗は多くの人が経験します。でも、それが飛躍へのバネになることもあります。「人間万事塞翁が馬」「禍福はあざなえる縄の如し」「人間(じんかん)いたるところ青山(せいざん)あり」「苦あれば楽あり」などなど、いいことが悪いことになり、悪いことがいいことになる、与えられたところで頑張ろうといった意味のことわざがたくさんあるのも、古来から「よくあること」だったからでしょう。