一色清の世の中ウオッチ 略歴

2013年11月21日

モーターショーで見た技術進歩の明暗 (第23回)

「自動運転」でドライバーの仕事はなくなる?

 有明の東京ビッグサイトで開かれている東京モーターショーに行ってきました。バブルの頃、朝日新聞経済部で自動車業界を担当して以来、2年に一度開かれる東京モーターショーは大体見ていますが、毎回、違ったアピールポイントがあって勉強になります。今年のアピールポイントの一つは、自動運転技術です。

 自動運転技術とは、クルマが衝突の危険を察知して自動でハンドルを切ったりブレーキをかけたりしながら、目的地まで走る技術のことです。トヨタ自動車や日産自動車は、すでに公道やテストコースで実験を繰り返していて、技術的には可能なところまできています。モーターショーで配っている日産自動車の資料には「日産は2020年までに自動運転の実用化をめざし、社会と広く協働していきます」と書いてあります。
 ただ、自動運転については、微妙な問題があります。モーターショー開幕前日のトークイベントでトヨタ自動車の豊田章男社長は、自動運転について聞かれ、「ドライバーが運転を楽しみながら自由に移動できるのがクルマの魅力。自動運転の目的はあくまで交通事故ゼロを目指すものです」と言いました。つまり、自動運転はドライバーを必要としないことを目的にしているのではなく、安全のためであることを強調したのです。

 なぜ、わざわざこういう発言をしたのか。私は、自動運転には二つの問題があるからだと思います。一つは、安全面からの問題です。日本では交通事故死者は減っていますが、それでも昨年4411人が亡くなっています。世界では、2010年で124万人が亡くなっているそうです。交通事故がなくなるというのは、こうした人々の命を救うすばらしいことです。ただ、「絶対安全は絶対ない」というのは、原発事故で身にしみたことです。では、自動運転で事故を起こしたときの責任を誰がとるのかといった法的な問題を考えないといけませんが、まだ手つかずです。自動車メーカーが責任を負うまでの自信は現段階ではないのでしょう。だから、「自動運転技術はあくまでドライバーを補助するシステムにすぎませんよ」と言わざるを得ないわけです。

 もう一つは、先行きを見通すと出てくる大きな問題です。雇用の問題です。自動運転が進化すると無人運転になるというのは、容易に想像できます。クルマに乗って、行きたい住所を打ち込むと、後部座席で寝ていてもクルマが目的地まで連れて行ってくれるとなると、どうでしょう。タクシー、ハイヤー、バスの運転手さんは必要なくなります。あるいは、誰も乗っていなくても目的地まで到着するとなると、トラックの運転手さんもいらなくなります。
 そんな時代は何十年も先、と思うかもしれませんが、いい悪いは別として、私はそんなに遠くないうちに実現する可能性があると思います。確かに、普通の日本人は、安全性に対する法的な問題をクリアしたり社会的な合意を得たりするのは難しいだろうと思うでしょうが、冒険好きで規制の嫌いなアメリカ人ならどうでしょう。「まずは高速道路から」「法の整備はあとからついてくる」などと言う冒険的な運送業者が出てくるのではないでしょうか。グーグルなどのアメリカのネット企業がここ十数年でやったことを思い出せば、絵空事とは思えません。アメリカが始めると、世界はついて行かざるを得ないというのも、わたしたちが経験してきたことです。

 日本では、トラック運転手は約80万人、タクシー運転手が約37万人、バス運転手が約4万人います。この100万人を超す人の雇用をどうするのかという議論が、自動運転の技術が進むにつれ、出てくると思われます。豊田社長の「ドライバーは必要です」という発言は、こうした議論を刺激したくないという意図もあった、と私は受け止めました。
 社会の進歩と雇用破壊の問題は、以前からあります。破壊した分以上に雇用を作り出せば社会全体としてはいいのですが、最近のIT技術を使った進歩は雇用を破壊するばっかり、という気がしてなりません。