一色清の世の中ウオッチ 略歴

2014年02月27日

マイナー競技支える企業を評価しよう

アイスホッケー界に君臨した堤義明氏の功罪

 土屋ホーム、北野建設、広島ガス……。あまり聞かない企業名だと思いますが、どういうくくりの会社でしょうか。いずれもソチ冬季五輪で活躍した日本選手が所属する会社です。土屋ホームは、ジャンプ・ラージヒル銀メダルの葛西紀明選手、北野建設は複合ノーマルヒル銀メダルの渡部暁斗選手、広島ガスはスノーボード・女子パラレル大回転銀メダルの竹内智香選手の会社です。
 もう少し大きな会社に所属する選手もいます。フィギュア男子シングル金メダルの羽生結弦選手は全日空、高梨沙羅選手はクラレが所属企業です。
 こうした会社と選手との関係は、社員として仕事もしている選手もいれば、活動の資金をいただくだけの選手もいますが、いずれにしても、お金のかかる冬のスポーツを支える企業として社会貢献をしているといえます。就活生の中には、こうした選手の企業名を見て関心を持った人もいるのではないでしょうか。

 日本のスポーツ界は、長く企業が支えてきました。中でも、お金のかかる割に人気の低い冬のスポーツは、オーナー経営者の情熱が支えになってきたケースが少なくありません。
 私が学生時代以来続けているアイスホッケーは、西武鉄道のオーナー社長だった堤義明氏が長年、情熱とお金を注いで、支えてきました。(牛耳ってきたと批判的に表現する人もいますが)。
 堤氏は、札幌五輪(1972年開催)の開催が決まった1966年に西武鉄道アイスホッケー部を作り、豊富な資金力で素質のある選手を獲得して毎年のように日本リーグの優勝争いをする強豪チームを作りました。1972年には、リーグのチーム数が減ったことへの対応策として、国土計画という別のチームも立ち上げて、同一リーグ内で二つのチームのオーナーになりました。1チームの年間運営費は5億円以上といわれていましたので、毎年10億円以上の運営費をアイスホッケーに注ぎました。また、試合や練習のためのスケートリンクを都内や横浜に作りました。
 日本アイスホッケー連盟の会長にも1973年に就き、2004年まで31年にわたって君臨しました。この間、日本オリンピック委員会の会長も務め、1998年の長野冬季五輪を招致するのに尽力しました。開催国になると日本のアイスホッケーが予選免除で出られるため、堤氏は一生懸命になったとも言われています。
 堤氏は、プロ野球の西武ライオンズのオーナーでもあったのですが、「野球よりアイスホッケーのほうが好き」と公言していました。私は代々木オリンピックプールのリンクの貴賓席で、堤氏が当時のライオンズのエース松坂大輔投手を横に座らせてアイスホッケーを観戦している姿を見たことがあります。大スターの松坂投手が、堤氏の「どうだ、アイスホッケーは面白いだろ」という感じでの説明に、恐縮しきった様子でうなずいている光景が印象的でした。

 堤氏は一時、世界一の資産家となったこともありましたが、2004年に証券取引法違反事件を引き起こし、会社の役職も日本アイスホッケー連盟の会長職も降りました。
 経営者が変わると、アイスホッケーチームの存続が取りざたされるようになり、西武のチームは2009年廃部となりました。今、アイスホッケー界は、日本のチームだけではチーム数が足りなくてリーグ戦の運営ができないとして、韓国、中国のチームを加えてアジアリーグを開いています。ただ、人気は盛り上がらず、日本男子代表の実力も世界の20位前後から上昇する気配はありません。リンクの閉鎖とかチビッコチームの減少といった暗い話も聞かれます。
 日本のアイスホッケー競技への堤氏の功罪はともにありますが、いなくなってからの男子アイスホッケーの低迷をみると、「功」のほうが大きかったと言えるのではないかと思います。

 アメリカは大金持ちによる寄付文化があり、それが文化や芸術、スポーツ、ジャーナリズムなどを支えています。日本では、堤氏のような金持ち経営者が「道楽」としてスポーツなどを応援する、いわゆる「タニマチ」が、そうした存在でした。現在も「タニマチ」は存在しますが、スケールが小さくなって、やれ「株主がうるさい」とか、やれ「会社への数字で表れる貢献がほしい」とかいった世知辛い言葉が聞かれます。そして、マイナースポーツを支える企業は減り、メダルの取れそうな競技だけが税金で強化されることになります。
 私のこの記事の趣旨は、マイナースポーツを支える企業をもっと評価してほしいというものですが、就活生は共感してくれるでしょうか。そんなことより、関心は面接のやり方とか、ですよね。残念ですが、きっと。