少し好きくらいのところがちょうどいい
ただ、こうした例はごくごくまれです。私は、好きなことを最大の基準にして会社選びをすることには問題もたくさんあると思います。
今秋引退を表明したヤクルトスワローズの宮本慎也選手は引退の記者会見で「好きで始めた野球だけど、プロになった瞬間に仕事に変わった。最近『楽しむ』と言うけど、楽しむなんてできない。仕事として19年間向き合ってきたことが誇りという思いはある」と言いました。
「プロ野球選手って、大好きな野球を仕事にできるんだからいいなあ」と思っている人は少なくないと思いますが、仕事になると苦しいこと、つらいことがたくさんあるのは当たり前です。「苦しいこと、つらいことの対価として、給料がある」と考えてもいいでしょう。仕事には責任感が生まれ、対価があるから苦しみを乗り越えられるのです。仕事は好き嫌いと別の次元のものなのです。
例えば、東京ディズニーランドが好きで好きでたまらないのでオリエンタルランドに就職したいという人がいるとしましょう。私は、大ファンの気持ちのまま、仕事に臨むと、冷静な判断ができないのではないかと思います。会社には改革、変革がつきものです。時代の流れや収益を考えたり、他社を参考にしたりしながら、古いものを壊して新しいものを作るという作業です。ディズニーランドだったら、ショーの演出やサービスなどを、新しいものに作りかえるという作業が頻繁に行われるはずです。でも、好きすぎると古いものを壊すという考え方ができないのではないでしょうか。仕事には自分の会社を客観的に見る力が必要ですが、それは好きという感情を抑えることでもあります。
仕事をしているうちに、好きだという気持ちが薄れていくこともあり得ます。人間は、年齢を重ねると考え方、感じ方が確実に変わります。ましてや勤めればあっというまに日常になります。毎日ディズニーランドに触れていると、どうしても感動は薄くなるでしょう。しかも、舞台裏は決して「夢の世界」ではなく「普通の会社」のはずですから、好きであればあるほどがっかりする可能性もあります。
漫画が好きなので出版社へ、競馬が好きなのでJRAへ、アイドルが好きなので芸能事務所へ、鉄道が好きなので鉄道会社へ、ケーキが好きなのでケーキ屋さんへ、こういうとても素直な志望動機はあってもいいのですが、ずっと好きなままで居続けられない可能性が結構あります。熱が冷めた後、好き嫌い以外の要素をもっと考えて会社選びをすればよかったと思うのではないでしょうか。
もちろんあえて嫌いなことを仕事に選ぶ必要はありません。好きなことに関わる仕事に就いたほうがいいのは当然ですが、ただその程度は「少し好き」くらいのところがいいように思います。ものすごく好きなことは、仕事にはしないで、趣味の世界の中で大事に大事にしていくほうが、人生全体を考えれば得策でしょう。
私は高校野球が大好きです。朝日新聞社を志望したとき、高校野球に関われるかもしれないという思いもありました。地方の支局を2カ所へて、本社の部署に配属されようとする頃、「高校野球の取材をする運動部にいきたい」と上司に言おうかと思ったこともありましたが、迷いがあって言いませんでした。言えば、ものすごく好きなことを仕事にできたかもしれません。でも今、やっぱり趣味の世界に留めておいてよかったと思っています。