「混在させずに統一しよう」
という話をしました。
これは文末に限ったことではありません。動詞・名詞なども含め、文中でも「統一した言葉」を使うように心がけましょう。例えば……
(1) 思う/想う
(2) 言う/云う
(3) うそ/ウソ/噓
(4) ごみ/ゴミ
(5) 私/わたし
(6) (「おこなった」で)行った/行なった
などを混在させるのはよくありません。注意力散漫な印象を与え、「ESの読み直し(チェック)をしていないのか?」とも思われるからです。
人によっては、(1)や(2)のようなものは「私は意識的に使い分けている。自己表現の一種」などと主張するかもしれません。はっきり言って、「無意味」です。ESはエッセーでも小説でもコラムでもありません。あなたの文学的こだわりなど何の価値もありません。
もちろん、そういったこだわりを持つことを全否定するものではありません。「言葉」への鋭敏な意識の表れですし、ずっと大切にしてもらいたい。ただ、それを発揮する場所を間違えるな、ということです。
口を酸っぱくして言ってきましたが、ESは「ビジネス文書」です。皆さんが会社に入ったら嫌と言うほど書かされる、その「入門編」。そこに求められるものは何か。「正確であること」「整っていること」。同じ事を表すのに、表記が違っていたら後者の点で失格です。
ちなみにこれは、以前書いた
「『思います』ばかり使うのはやめて言い換えよう」
というテーマと矛盾するように感じるかもしれませんが、そうではありません。基本は言い換えを念頭に置きつつ、どうしても同じ言葉を使うときに、表記の乱れが起きないようにしよう、というのが主眼です。
(3)~(5)なんかは、気を抜いていると混在させてしまいそうですね。普段自分が文章を書く際、どれを主として使っているか、改めて考えてみましょう。
(6)は少しそれまでとは違う話です。本来動詞の送りがなは、活用によって変化する部分=「活用語尾」から送るのが大前提です。ただし文科省は「送り仮名の付け方」という内閣告示で、活用語尾の前から送る「例外」を許容しています。それがこの「行う(行なう)」です(他に「表す(表わす)」 「著す(著わす)」 「断る(断わる)」なども)。
「おこなう」「あらわす」などは、誤読を避けるため、という利点があります。「行った」では「いった(went)」なのか「おこなった(done)」なのか分かりづらい。「表した」も「ひょうした」か「あらわした」か悩みますね。
だからもちろん「いった」を「行った」と書き、「おこなった」を「行なった」と書き分ける分には構いません。「おこなった」を指すのに、「行った」と「行なった」を混在させるのはやめてね、という話です。
実はこの「行った」や「表した」。新聞では「な」や「わ」を送ることは、社内ルールで認めていません。というか正確には「行った」や「表した」に統一するように決めています。新聞記者というのは、何となく普通の会社員より自由に仕事をしているように思われる方も多いかもしれませんが、意外と(笑)様々なルールにのっとって記事を書いています。
これもまた、「整合性」を取るためです。ある記者と別の記者とで「書き方」に違いがあれば、それは「朝日新聞」という商品の品質を担保できない。大げさに言えばそういう事です。
「仮名書きの統一」という、新聞ならではの工夫もあります。「カネ」「コメ」をカタカナで書くのはそのひとつ。これは「金」「米」と書くと、「きん(Gold)」「アメリカ(America)」と紛らわしいからです。もっとも、最近後者は「お金」と丁寧に書くことで、あまりカタカナ表記を見なくなってきましたが……。
就活に話を戻すと、もっと大きな「整合性」として忘れてはいけないことが一つあります。それは……
「ESに書いている内容と面接での答え方に食い違いをきたさない」
こと。特に面接の初期では、そこをしっかり見られます。ウソや背伸びは厳禁。自分が書いている内容を、口頭での答えと矛盾を起こさないよう、しっかりESの内容を自分に染みこませて面接に臨みましょう。
ただし、面接で「志望動機は?」という問いに、ESに書いた内容を丸暗記して答えるのはNGです。キーワードやポイントを押さえて、生の言葉で語ってください。