次の文章を見てみましょう。
・小さな隣家の梅の木に花が咲きました。
「小さい」のは何なのでしょう。隣家?梅の木?どちらにも読めます。前者ならこうしてみましょう。
☆小さな隣家、そこにある梅の木に花が咲きました。
☆隣家は小さい。そこにある梅の木に花が咲きました。
句読点で切ることで、読みやすくなる。以前お話ししたテクニックですね。では後者ならどうするか。
☆隣家の小さな梅の木に花が咲きました。
誤読のおそれがなくなりました。これが基本中の基本……でありながら意外と忘れられがちな技です。
要は「修飾語と被修飾語を近づける」こと。
もう一例。
・年齢の割にきれいな私の母はテニスに夢中です。
「年齢の割に」とあることから考えても、普通に考えればきれいなのは「母」なのでしょう。しかし意地悪な見方をすれば「おいおい、自分できれいとか言ってるよこいつ」という読み方もできます。ここは
☆私の母は年齢の割にきれいです。そしてテニスに夢中です。
☆年齢の割にきれいな母はテニスに夢中です。
としましょう。下の改善案は「私の」を抜き、直接「母」に形容動詞が係る形にしました。ESや面接では基本一人称(私)のことを語るわけですから、無くても通じますよね。
そして形容詞や形容動詞以上に注意が必要なのが副詞の場合です。
・できる限りレギュラーになれるよう、一日千本の素振りをすることにした。
素直に読めば、「レギュラーへの道は簡単ではないけれど、一日千本の素振りを自分に課した」ということを書いています。頑張り屋さんですね。ではこれならどうでしょうか。
・レギュラーになれるよう、できる限り一日千本の素振りをすることにした。
素振りをしない日もあるんですね。頑張り度がえらく下がりました(苦笑)。正反対、とは言わないまでも、伝えたい意図が違ってきます。
「常識的に考えれば分かる」というのは、いかにも日本人らしい「皆まで言うな」的感性です。更に言えば「共通認識」があるもの同士なら通じるでしょ、という発想です。しかしビジネスの世界というのは、基本「他人(=初めて会う人)」とやり取りするわけです。そこには一点のあいまいさ(=誤解)もあってはいけません。
・私は大学の4年間、毎日ラグビー部の部室で母が作った弁当を食べた。
お母さんが部室でお弁当を作るわけがない。しかし、そういう風にも読めてしまう。ここはこう直しましょう。
☆私は大学の4年間、母が作った弁当を毎日ラグビー部の部室で食べた。
仮にお母さんが毎日大学に通って部室でお弁当を自炊してくれたのなら、それと分かる書き方にしましょう。
……というか、それが事実ならそれだけで面白いエピソードになりそうですが(笑)。