時節柄、少し軟らかめの話題で行きましょう。まさに「クリスマス」という言葉に関する話です。飲み会の席の話題にでもしてみて下さい。
この時期街中でよく見かける表記。クリスマスのことを
「X'mas」「Xmas」
などと書きますよね。それに対し前者は「誤りだ」という意見があります。
そもそも「クリスマス」は英語で「Christmas」。「キリスト(Christ)のミサ(Mass)」という意味です。ではどこから「X」が出てきたのか。これはギリシャ語でキリストを表す「XPIΣTOΣ=クリストス」から来ています。その頭文字「X」(正確にはエックス、ではなくギリシャ文字のカイ)を取ってキリストの略語としたわけです。
つまり「X」の一文字で「Christ」を表すのだから、省略を示す「’(アポストロフィー)」は要らない、というのがこの主張の根拠です。ネットで検索すると「X'mas 誤表記」なんてのがごまんと出てきます。
実際、欧米ではあまり「X'mas」という表記はしないそうです(「Xmas」か「X-mas」)。それを元に「和製英語だ!」と言う主張もしばしば見受けます。
ところが実は欧米でも、古い文献の中に「X'mas」の表記が使われているものがあるのです。更にさかのぼると「Christ」の最後の「t」を上付き表記した「Xtmas」という表記もあります。この小さな「t」を省いた結果、「X'mas」という表記が生まれた、という見方もあります。こうなると、単純に「誤表記」「和製英語」とは片付けられなくなりますね。
以上をまとめると、
・言葉の成り立ちから考えると「Xmas」(もしくは「X-mas」)の方が自然
・キリスト教圏の欧米でも「Xmas」表記が主流
・しかし「X'mas」という表記は欧米の古い文献にもあり、「誤用」と言い切る根拠は乏しい
・従って、「和製英語」と言うのもおかしい
といったところになりますでしょうか(飲み会の席で話せますか?)。かほどさように、「言葉」と言うものは難しいものです。
実はこれまでの連載でも、同様のことを常に念頭に置いて書いてきました。最近使われるような表現(前回の「不要の『大丈夫』」、あるいは「ら抜き」)などに対して、私は原則として「誤り」とは書きません。「ふさわしくない」「本来の意味ではない」という表現を使うようにしています。
中高生の古文で習ったと思いますが、古語の「かなし」は現代で言えば「いとおしい」の意味です。「心が強く動かされるさま」という元の意味が、時代を経て「愛情」から「悲哀」にまで広がった。そして前者の意味がいつしか薄れていったわけです。
現在「俗用・誤用」と言われている表現も、いつしか「正統」になるかもしれない。
そもそも「俗用・誤用」という根拠は本当にあるのだろうか?という疑問を持つ。
いわば一歩引いた目で見ること。これは言葉に限らず大切だと思うんですね。「自分の頭で考える」ということ。
そして、何より怖いのは「知らない」がゆえの失敗。だから、この連載では「みんなが普段言ったり書いたりしている表現は、身内では通じるかも知れないけど、本来はこんな風に使うのが自然だから、そこをわきまえてね」という注意をうながす気持ちで書いています。
「分かっていて」やる覚悟の上の失敗ならアリでしょう。ただ、意図せざる書き方や話し方で、面接官たちの不興をこうむるのは避けたい。そのお手伝いをしたいなぁ、と日々思っています。
芥川龍之介の「侏儒の言葉」に有名な一節があります。
「人生は一箱のマッチ箱に似ている。重大に扱ふのは莫迦莫迦(ばかばか)しい。重大に扱はなければ危険である」
「人生」を「言葉」に置き換えても、就活ではそのまま通用しそうですね。
イブにふさわしい軟らかい話と言いながら、最後はかなり真面目になってしまいました。聖夜の力の為せる業ですね。
年内の連載は今日で終わりです。開始から3カ月超経ちましたが、「主に言葉 時々アイドル」の路線は年明け以降も続きます。
どうぞごひいきに。そして良いお年を。