一色清の世の中ウオッチ 略歴

2013年06月27日

山の中の酒蔵から世界へ (第2回)

頑固なポリシーがブランド力上げる

 日本記者クラブという組織があります。新聞社やテレビ局の記者、フリーライター、記者OBといった人たちが入っていて、頻繁に時の人を招いて記者会見を開いています。普段は、首相はじめ有力政治家、来日した要人、財界人、話題のスポーツ選手や文化人などが登壇します。そこに先日、山口県の山の中にある酒蔵の主が招かれました。旭酒造の桜井博志社長です。世間的には無名の中堅企業の経営者がなぜ登壇したのでしょうか。それはこの会社が、日本の成長戦略の一つのモデルになる会社だと思われているからなのです。

 旭酒造の清酒の銘柄は「獺祭(だっさい)」だけです。酒米はすべて「山田錦」で、純米大吟醸という高級ジャンルで商売しています。日本人のお酒の消費量は人口減少やお酒離れもあって減り続けていますし、中でも日本酒の減少傾向は長く続いています。でも「獺祭」は年々売れ行きを伸ばしていて、ここ25年で売り上げは10倍になっています。

 桜井社長は、1984年に「いつつぶれてもおかしくない小さな酒蔵」を継いでここまできました。その理由について語り始めました。まず、「量は追求しない」というポリシーを挙げます。お酒は飲み過ぎると体をこわします。「『お客さまの健康』という社会の正義と『売れる』という会社の正義の折り合いをつけるのは、おいしさを追求するしかない」と言うのです。だから、純米大吟醸しか作りません。そのポリシーがブランド力を上げてきたのです。
 時代の追い風もあったと言います。かつては国や大手卸が等級や格付けをして売れ筋をコントロールしていたのですが、そういう規制がなくなり、消費者が決定権を持つようになりました。だから、革新的な挑戦をする会社にも成長する余地ができたというわけです。

 酒造りにはフリーの職人である杜氏(とうじ)が欠かせません。でも旭酒造は杜氏を使いません。平均年齢31歳の若い従業員だけで作っています。桜井社長は「トップの考えがすぐに社内に染み渡る体制になった。それが製品に表れた」と言います。
 そして何より「半径5キロに300人しか住んでいない過疎地だから成長できた」と言います。つまり地元に市場がないから東京に出て行くしかなかった、それが吉に転じたというのです。

 その延長線上に世界に出て行くという戦略があります。すでにアメリカやフランスなど世界17カ国に輸出していて、その売上比率は会社の1割になります。そこでも「安い酒を売るという考えは持たない」のだそうです。高額所得者をターゲットにして、日本文化とあわせた売り方をしたいと言います。将来は半分以上を海外で売り上げる目標を持っています。

 6月に政府が決めた成長戦略に「農産物輸出を1兆円に倍増」という一項目があります。国内の胃袋は小さくなりますが、世界の胃袋はまだまだ大きくなります。日本の農産物や加工食品の品質は世界に誇れるものです。「高くてもおいしい」という日本ブランドが世界で受け入れられる可能性は広がっています。まさにその戦略の先頭を走っているのが旭酒造なのです。

 桜井社長は最後に「日本の地方はめちゃくちゃになっています。東京に本社のある大企業の誘致ばかりを考えてきた結果です。酒造会社は地方にあります。地方に本社機能を持った中小企業が1562社もあるわけです。酒造会社が地方で伸びていくことが日本のためになります」と言いました。酒造会社だけでなく地方の企業が伸びることは本当に大切なことです。市場を日本全国、さらに世界に置けば、本社がどこにあるかという意味は小さくなります。
 そういえば、今やグローバル企業の代表格のファーストリテイリング(ユニクロ)も同じ山口県で生まれ育った企業でした。がんばれ、地方企業です。