2014年04月21日

夏目漱石「こころ」は朝日新聞の連載小説だった!

テーマ:文化

ニュースのポイント

 朝日新聞で昨日から夏目漱石の「こころ」の連載が始まりました。なんで今?と思うでしょう。実は「こころ」はちょうど100年前に朝日の紙面で発表された新聞小説で、「100年記念」の再連載です。この機会に、新聞小説の歴史をひもときます。

 今日取り上げるのは、22面の「文化の扉/はじめての夏目漱石」です。「こころ」の第2回はオピニオン面(8面)に載っています。
 記事の内容は――圧倒的な知名度と高い人気を誇る漱石(1867~1916)の世界は、知れば知るほど面白い。漱石は日露戦争後の激変する社会で、男女が直面する問題を都市の風俗や時事ニュースを盛り込んで描き人気を博した。昭和になると、「こころ」が少数エリートである旧制高校生の必読書となり、漱石を読むことが読書人の教養、新興中流層のステータスとなっていく。1960年代には高校国語教科書にも収録され、高度成長期を経た総中流時代に「国民的作家」になったといわれる。漱石の小説は、都市論、家族論、フェミニズム論などあらゆる角度から読まれ続けている。

(東京本社発行の朝日新聞朝刊最終版から)

就活アドバイス

 「吾輩は猫である」「坊っちゃん」「こころ」などを、国語の教科書で読んだ覚えがある人も多いでしょう。その漱石は40歳で朝日新聞社の社員になり、その後は小説や随筆をすべて新聞紙上で発表しました。今も新聞には毎日、連載小説が載っていますが、娯楽の少なかった時代ですから、新聞小説の評判が新聞の売れ行きに直結しました。読売新聞は人気作家・尾崎紅葉を入社させ「金色夜叉(こんじきやしゃ)」で部数を伸ばしたと言われています。朝日も二葉亭四迷に続き、漱石を招きました。

 漱石が入社したのは1907(明治40)年。「吾輩は猫である」「草枕」で人気が出て創作に専念したかった漱石に朝日と読売がアプローチしました。今でいうヘッドハンティングですね。権威ある東京帝国大学講師から、当時はベンチャー企業といってもいい新聞社への転職ですから、当時世間を驚かせたそうです。ちなみに月給は部長より高い200円(当時の記者の初任給は30円前後)。「虞美人草(ぐびじんそう)」「夢十夜」「三四郎」「それから」「門」「道草」などを連載、「明暗」を執筆中に49歳で亡くなりました。漱石作品は朝日の売り物になったほか、漱石はときに編集会議にも出席。文芸欄(今の文化面)が創設され、事実上の編集長として門下生や新進の作家、評論家に発表の機会を与え、編集者(エディター)としても足跡を残しました。

 漱石の後も朝日新聞には、吉川英治「宮本武蔵」、石坂洋次郎「青い山脈」、川端康成「古都」、司馬遼太郎「花神」、沢木耕太郎「一瞬の夏」、松本清張「迷走地図」、宮部みゆき「理由」などが連載され、ベストセラーも多く生まれました。映画が大ヒットした吉田修一「悪人」も朝日新聞の連載です。5月1日からは、林真理子「マイストーリー 私の物語」が始まります。

 今回の再連載を機に、ノーベル賞作家・大江健三郎さんは「こころ」から「時代の精神」を意識したと語り、作家の関川夏央さんは漱石が描いた人間関係と金銭にまつわる悩みと喜びは現在とまったく変わりがないため「漱石の作品は100年を経てもあたらしい」と朝日新聞に寄稿しました。再連載の「こころ」や、新連載の「マイストーリー 私の物語」に目を通して、昔と今を比べたり、電子書籍時代の小説のあり方を考えたりしてみてください。就活の息抜きにもなりますよ。

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