ニュースのポイント
トヨタ自動車最高顧問の豊田英二さんが昨日、100歳で亡くなりました。トヨタの「中興の祖(ちゅうこうのそ)」と呼ばれた人です。トヨタグループの世界販売台数は今年度、世界初の1000万台の大台に乗る見通しです。トヨタの歴史は日本の自動車産業史そのものです。
今日取り上げるのは、経済面(8面)の「評伝/現場歩いた頑固社長/豊田英二さん トヨタの礎築く」です。
記事の内容は――豊田英二さんは、1955年に日本の高級車の草分けになるクラウンを開発、60年代後半にはカローラで日本にモータリゼーション(自動車社会)をもたらした。70年代前半、自動車の排ガス公害が問題になったとき日本自動車工業会会長として批判の矢面に立ち業界を擁護した。引退後は環境問題に取り組んだ。
(東京本社発行の朝日新聞朝刊最終版から)
就活アドバイス
戦後本格的に立ち上がった日本の自動車産業は、次第に低燃費で品質の良い小型車を生産するようになりました。1970年代以降、米国への輸出が急増して米ビッグ3(ゼネラル・モーターズ=GM、フォード・モーター、クライスラー)を脅かし、1980年代には日米自動車摩擦が激化します。トヨタは1984年、豊田英二氏の主導で最大のライバルだったGMとの米国合弁生産会社を設立。1990年代以降は輸出に不利な円高も重なり、日本の自動車メーカーは「海外で売る車は現地でつくる」という戦略に転換、輸出を減らし、米国との摩擦は下火になりました。トヨタは2008年のリーマン・ショックなどで一時生産が落ち込みますが、新興国への輸出や現地生産の増加で回復。今年度、ついに世界販売1000万台を達成しようとしています。
業界全体で1980年代に8~9割を占めた国内生産比率は、国内販売の伸び悩みもあり、2005年に5割を割り、昨年、トヨタは40%、日産自動車が23.5%、ホンダが25%にまで下がりました。さらに、その国内生産の半分は輸出されます。どうせ輸出するなら海外での現地生産を増やした方が効率的ですよね。でも自動車各社は、これ以上国内生産を減らさないよう生産維持ラインの目標を掲げています。トヨタは300万台、日産、ホンダは100万台、マツダは85万台です。
「ものづくりは価値を創造することであり、文明の原点である。いったん空洞化すると、元に戻すのが容易でないことは、米国経済の状況を見ても明らかだ」。今日の記事の最後にある英二氏の言葉です。トヨタの豊田章男・現社長も「競争力の源泉は国内工場にある」と言っています。各社のこの姿勢は、国内工場での雇用も支えているのです。
業界や会社の歴史を知るのも大事な就活です。トヨタやホンダ、日産については、創業者や社長について書かれた本もたくさん出ています。新聞記事や書籍で歴史を学んでください。
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