2015年02月04日

「イスラム国」はアメリカが生んだ⁈

テーマ:国際

ニュースのポイント

 過激派組織「イスラム国」が、湯川遥菜さん、後藤健二さんに続き、ヨルダン軍パイロット、ムアーズ・カサースベ中尉を殺害したとする画像をネット上で公開しました。人の命をもてあそぶように奪い、宣伝材料にもする残虐な集団の非道は絶対に許されません。一方で、そんな「イスラム国」がなぜ生まれたのかにも議論が及んでいます。歴史から学ぶ必要がありそうです。

 今日取り上げるのは、1面のコラム「天声人語」です。
 記事の内容は――ベテランジャーナリスト橋田信介さんは2003年、イラクへの自衛隊派遣に反対する文章を書いた。日本に何の得もないし、米国が始めたイラク戦争には何の「大義」もないと。翌年、橋田さんはイラクで銃撃されて亡くなった。ここまで勢力を伸ばした「イスラム国」の源流をたどるとイラク戦争に行きつく、との指摘が識者から出ている。フセイン政権崩壊後、激しい宗派対立と反米感情の高ぶりの中で過激な思想が育まれたという見方だ。邦人2人の人質事件の検証には長期的な視点が必要だ。今回、日本政府の対応は適切だったかを検証する論戦が国会で始まった。人道支援のNGO活動に携わる熊岡路矢(みちや)さんは、首相の中東歴訪と演説が彼らの行動を誘発したとし、かつての自衛隊のイラク派遣がイスラム世界の人々の日本に対する好感度を下げたことに注意を促す。2003年までさかのぼった重層的な検証とせよとの指摘にうなずく。

(東京本社発行の朝日新聞朝刊最終版から)

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 そもそもなぜ、「イスラム国」は生まれたのでしょうか。天声人語が書いているように、多くの人が2003年のイラク戦争に行きつくと指摘しています。ジャーナリストの池上彰さんは、朝日新聞の紙面で「全ては2003年の米ブッシュ政権のイラク攻撃から始まった」と書きました。

 当時、米国はイラクが大量破壊兵器を隠し持っているとみて、武力侵攻してフセイン政権を崩壊させました(大量破壊兵器は見つからず)。2011年末の米軍撤退までに戦闘やテロで10万人超の市民が犠牲になったといわれています。米軍の誤爆で家族が犠牲になった人も多く、高まった反米感情が過激思想につながりました。また、フセイン政権下のイラクでは、少数派のイスラム教スンニ派が多数派のシーア派を抑圧していましたが、国家崩壊で宗派や民族対立による内戦状態に。その後誕生したシーア派主導の政権がスンニ派を排除したことも対立に拍車をかけました。市民に広がった強い反米感情と、宗派・民族対立を背景にスンニ派の過激派組織が勢力を伸ばし、2011年から始まったシリア内戦の混乱にも乗じて勢力を拡大し「イスラム国」につながったわけです。

 イラク戦争が「イスラム国」誕生の遠因になっていたことはわかりましたね。ここまできたら、イラク戦争に至る経緯も含めて、近年の歴史を振り返っておきましょう。大ざっぱにまとめます。
 ◆イラクのクウェート侵攻による湾岸戦争(1990年)➡米軍がイスラム教の聖地があるサウジアラビアに常駐したことなどに国際テロ組織アルカイダが反発、米同時多発テロを起こす(2001年)➡米軍主導でアフガニスタン戦争(2001年)とイラク戦争(2003年)➡反欧米を掲げるイスラム過激派組織が勢力を伸ばし「イスラム国」建国を一方的に宣言(2014年)

 取り上げた十数年は、中東や欧米の長い歴史のひとコマに過ぎませんが、こうしてみると、武力攻撃が報復の連鎖を生んできたことがわかると思います。日本も「標的」として名指しした「イスラム国」に、これからどう対峙(たいじ)していくのか。日本政府だけでなく、企業にとっても、みなさん一人ひとりにとっても、もうひとごとではありません。考えるためには、今を知るだけでは足りません。長期的な視点で歴史を振り返ることも必要です。

 「イスラム国」の成り立ちについては、「『イスラム国』って何?イラク情勢が大変だ!」(2014年7月1日、今日の朝刊)でも書きました。ほかにも関連した回は以下にリンクを貼りました。ご一読を。

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