言葉マイスター ナカハラハラハラ 略歴

2015年07月22日

言葉にも「お化粧」しましょう ~どうせなら、より美しく

 ……と言っても、女子学生のみなさんへ向けたメイクの話ではもちろんありません(笑)。「ことばの」お化粧についてです。

 先日、家でビールを飲みながらボーッとテレビを見ていました。テーマは「ヨーロッパ野菜」。今まで輸入が大半だったものを日本国内で生産して、地域活性化に利用する……という、なかなか興味深いものでした。銀座にある山形県のアンテナショップに並ぶきれいな野菜。そこのレストランで出されるおいしそうな料理にも、もちろんその「国産」ヨーロッパ野菜が使われていました。

 番組中、女性リポーターがさいたま市の農家を訪れていました。「花ズッキーニ」を収穫する様子をリポートしていたのですが、その人がたくさん並ぶ花ズッキーニの前で、

 「すごいにおいですね~!

 と一言。それを耳にして私は「んん?」と、思わずビールを飲む手が止まってしまいました。「え?そんなにくさいの?」と。

 もちろん彼女は「良いにおいだ」と言うことを伝えたつもりなのです。映像を見ればすぐに分かりました。満面の笑みで胸いっぱいに空気を吸っている彼女が映っていましたから。

 においを漢字で書く場合「匂い」と「臭い」の2種類があります。前者が主に「良い/心地よい」におい、であるのに対し、後者は「不快な/くさい」においを指します。実際「臭(くさ)い」とも書きますよね。
 リポーターの発した「すごいにおい」という言葉。これを耳で聞いただけでは、どちらの意味にも取れてしまいます。文字なら正確に伝わったかもしれません。「すごい匂い」「すごい臭い」。前者なら「芳香」におい、後者なら「悪臭」ですね。

 音だけで誤解されないためにはどうすれば良かったのか。「すごい」というあいまいな(というか、正直言って「やや貧困な」)表現ではなく、もっと価値判断をはっきり示してみましょう。「良いにおいですね」「すてきなにおいですね」。こうすれば、文字に起こしても「臭」ではなく「匂」だ、と伝わります。

 ただ、そもそも最初の言葉の選択にもう少し気を使って欲しかったな、とも思います。「におい」というニュートラルな言葉を使うのではなく、明らかに良い意味でしかない言葉。そう……例えば「かおり」という言葉ならどうでしょう。

 「かおり」はまさにそれだけで「よいにおい」を表す言葉です。言葉そのものに価値判断が入っている、と言ってもいいでしょう。先ほど「やや貧困」だ、とけなした「すごい」を使っても、

 「すごいかおりですね」(あるいは「かおりがすごいですね」)

 これを耳にして悪臭だと感じる人はいないでしょう。「良いかおりですね」「すてきなかおりですね」と言えば更に誤解なく伝わります。何より言葉の選択が美しい。好感度が上がりますね。

 いつもいつも、耳にタコができるほど書いてきたことですが、面接であれESであれ、それこそ例えば「かおり」という言葉を使わずに「におい」を選んだからと言って、あからさまに不利になることはありません。ただ、横一線で並んだ人がいた場合、どちらを取りたいと思うか、という話です。最後のひと押し。

 同じような例をもうひとつ挙げてみましょう。原因・結果を表す言葉「~のせい」「~のおかげ」「~のため」。ESや面接でもよく出てきますね。マイナスの意味で使う「~のせい」はさておき、

 「水泳を10年間続けたために、持久力がついた」
 「水泳を10年間続けたおかげで、持久力がついた」

 前者は「ニュートラルな」結果しか伝えていないのに比べて、後者は「前向きな」結果が伝わってきます。ささいな差ですが、あなたならどうですか? 後者の言葉遣いを選べる人と一緒に働きたいと思いませんか?

 「美しい言葉を選ぶ」ということは、真意が見えないほど飾ったり、ましてや虚飾(ウソ)を意味するのではありません。あなたの思っている(伝えたい)意図を、よりダイレクトに相手に届ける。その意味では女性のお化粧も一緒ですよね。素顔の良さを「より」際だたせるのが良いメイクのはずですから……(ってこれ、先日とりあげた「ジェンダー」的にアウト、ではないよね?汗)。

 次回ももう少し、この「美しい言葉」の話を続けます。

今週のおまけ ~正誤を言うのはやぼってもんです~

 「シクラメンのかほり」という歌ををご存じですか。1975年に布施明さんが歌って大ヒットとなり、その年のレコード大賞も受賞した曲です。さすがに20代の皆さんは知らないか(苦笑)。むしろ皆さんのご両親がドンピシャ世代でしょうか。

 作詞・作曲は小椋佳さん。シンガーソングライターであり、作詞・作曲家でもあります。売れっ子になってからも、第一勧業銀行で(今のみずほ銀行です)働きながら音楽活動をしていたという、変わった経歴の方でもあります。

 この歌が出たとき、「『かほり』とは何だ。古語の仮名遣いからすれば『かをり』が正しい!」としたり顔で言う人がいました……というか、今でもごろごろいます。確かに語源(かおる=香+居る)を踏まえると、その指摘はもっともですし、明治時代に編纂(へんさん)された日本最初の近代的な国語辞典(とされる)「言海(げんかい)」にも

「かほり」=「かをりノ誤」

 と書かれています。しかし、更に掘り下げて調べてみると、鎌倉時代の歌人・藤原定家が、平安時代の文献などを参考にして仮名の使い分けを定めた「定家仮名遣い」では「かほり」となっているのです。その後時代を経て「標準」が「を」になったのは、確かに紛れもない事実ですが、それをもって「『ほ』は間違い」と言い切ってしまうのはどうなのでしょうか。

 言葉は生き物です。常に揺らいでいる存在です。だから私もこれまで、なるべく「正しくない」とか「間違っている」という言い回しはしないできました。「ふさわしくない」とか「望ましい」とかは言ってきましたが……。

 ちなみに小椋さんの奥さんの名前は「佳穂里(かほり)」さんと言います。これを元に「そうか!名前とタイトルをかけたから、やっぱり『ほ』でいいんだ!」と言う人もいるようですが、小椋さん自身はこの説をお気に召していない(というか否定している)らしく、これまたそこにこだわりすぎるのも妙な気がします。

 そもそも、現代(と言っても40年前ですが)の歌のタイトル、しかもその一部の「を」と「ほ」、どちらかが「正しい」と決めつけることに意味があるのでしょうか。それって無粋ですよね(苦笑)。

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