2014年05月26日

au誕生物語 JALも再生させた稲盛イズムを知ろう

テーマ:経済

ニュースのポイント

 会社には創業の精神があり、歴史があります。創業以来の歴史を知ることは、そもそも何のためにできた会社なのか、という根本を知ることでもあります。会社に歴史あり。志望する会社の歴史をひもといてみましょう。

 今日取り上げるのは、経済面(4面)の稲盛和夫・京セラ名誉会長の連載インタビュー「証言そのとき/不撓不屈(ふとうふくつ)の一心⑨/競争育む 信念の大合併」です。日本の電話通信は、長く日本電信電話公社(電電公社、現NTT)による独占事業で、料金は米国などと比べて割高でした。1980年代から行政改革の目玉の一つとして、電電公社の民営化、通信事業への参入自由化の議論が盛んになり、1984年、稲盛さんが中心になった第二電電(DDI)が発足しました。その後の話です。
 記事の内容は――DDIは1989年、関西電力などとの合弁で「関西セルラー電話」を設立し、携帯電話サービスを始めた。当時の携帯参入の地域割りの条件は、全国展開できるNTTに対し、首都圏、中部圏がトヨタ系のIDO、DDIは関西とその他地域に限られ、圧倒的に不利だった。「日本の情報通信市場の健全な発展には競争が必要」がDDI設立の精神。NTTに対抗するには、DDIとIDO、国際電話の国際電信電話(KDD)の3社が一緒になるしかないと腹をくくった。交渉は難航したがトヨタ会長を説得し、2000年に国内2位、世界でも10位に入る国際電気通信会社KDDI(au)が誕生した。今では営業収益4兆円超、従業員2万人。こんなに順調にいった合併は珍しい。

(東京本社発行の朝日新聞朝刊最終版から)

就活アドバイス

 記事の冒頭、DDIの開業式で稲盛さんが「赤ちゃんが生まれたら、名前をつける前に電話番号をもらうようになる。いずれ一人ひとりが電話番号をもつ時代が来るでしょう」とあいさつしたのが1989年のこと。「1人1台」はすでに実現し、物心ついたころから携帯電話が身近にあったみなさんにとっては、通信事業が1社独占の時代や、携帯がない世界は想像できないでしょう。

 各家庭に有線で引く固定電話しかない時代、電話通信事業者は電電公社だけで、消費者は電話会社を選ぶことはできませんでした。当時の公社は売上高4兆円、従業員32万人の巨大企業でした。1980年代になって民営化、分割され、固定電話の通信事業にDDIなど数社が参入。その後、携帯電話への参入も認められてKDDIが誕生。携帯を中心にした本格的な競争が始まり、今のスマホ時代に至ります。

 京セラを立ち上げた稲盛さんは、DDI創業後、KDDIの名誉会長に就き、最近では経営破綻(はたん)した日本航空(JAL)の会長として再生させたカリスマ経営者です。稲盛さんが通信事業に乗り出したのは「競争できる通信会社をつくって、料金を安くして、国民のために役にたちたい」との思いからです。トヨタ会長との話し合いで、稲盛さんはこう言っています。「今回の話は、私心から、利己的な思いからではない。NTT独占に対抗することは国民のためになるとの思いからです」。合併に奔走した当時の熱い思いが伝わってきますね。

 いま通信業界は、NTTドコモやNTT東日本を傘下にもつ持ち株会社NTTと、KDDI、ソフトバンクの三つどもえの様相です。NTTには民営化や分割を乗り越えて拡大してきた歴史が、ソフトバンクには孫正義社長の積極的な買収戦略で急伸してきた歴史がそれぞれあります。どの会社にも創業者の志があります。創業の精神、事業拡大の歴史を知れば、企業研究が深まり、志望動機にもつながるでしょう。会社のホームページにある沿革をまとめたコーナーや、今日のような記事から、そもそもの会社の成り立ちや歴史を調べてみてください。

※朝日新聞デジタルの無料会員は1日3本の記事全文を、有料会員になればすべての記事を読むことができ、過去1年分の記事の検索もできます。ぜひ登録してください。

アーカイブ

テーマ別

月別