2016年02月09日

総務相がテレビ電波停止に言及…「不偏不党」「公平」ってなんだ?

テーマ:メディア

ニュースのポイント

 高市早苗総務相が、政治的に公平ではない報道を放送局が繰り返したと判断した場合、放送法違反を理由に電波停止を命じる可能性があると国会で答弁しました。これに対し「言論統制」「政治介入」との批判の声が出ています。そもそも放送法に出てくる「不偏不党」「政治的に公平」ってどういうことでしょう。一緒に考えてみてください。(編集長・木之本敬介)

 今日取り上げるのは、1面の「総務相、電波停止に言及/公平欠く放送と判断なら」です。総合面(4面)には「衆院予算委員会・焦点採録/放送全体で適合性判断 総務相/報道の萎縮をうむ 民主・奥野氏」も載っています。
 記事の内容は――高市総務相は8日の衆院予算委員会で、放送局が政治的な公平性を欠く放送を繰り返したと判断した場合、放送法4条違反を理由に、電波法76条に基づいて電波停止を命じる可能性に言及した。「行政指導しても全く改善されず、公共の電波を使って繰り返される場合、それに対して何の対応もしないと約束するわけにいかない」と述べた。これに対して「公平性を判断するのが大臣であり政権であるなら、政権による言論統制だ」(民放関係者)、「行政が気に入らない番組で、言うことをきかなければ停波にしてしまうのなら介入そのもの」(砂川浩慶・立教大准教授)との指摘が出ている。

(東京本社発行の朝日新聞朝刊最終版から)

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 2015年4月21日の今日の朝刊「テレ朝、NHKを自民なぜ聴取? 放送法を考えよう」でも書きましたが、放送法は権力の介入を防ぐための法律です。戦前・戦中の言論統制下でNHKのラジオ放送が政府の宣伝機関となったことを反省し、憲法が保障する「言論・表現の自由」を実現するためにつくられました。

 放送法の目的を定めた第1条の第2項には、はっきりとこう書かれています。
 「放送の不偏不党、真実及び自律を保障することによって、放送による表現の自由を確保すること」
 「放送の自律」が保障されており、放送局が自らを律することで権力の介入を招かずに、表現の自由を守る仕組みなのです。(図は、2015年12月26日朝刊の記事「Media Times『自律』『公平性』、問われた放送法」から)

 高市総務相が触れた第4条の第2項には「政治的に公平であること」が定められています。「政治的な公平性を欠く」例について答弁で、「不偏不党の立場から明らかに逸脱していると認められるといった極端な場合には、政治的に公平であるということを確保しているとは認められない」などと語りました。

 そもそも「不偏不党」「政治的に公平」ってなんでしょう? 辞書で「不偏不党」は「いずれの党派・主義にもかたよらず、公平・中立の立場をとること」(デジタル大辞泉)などと書かれています。朝日新聞社も綱領で「不偏不党」を掲げていますが、実は新聞は不偏不党でなければならない訳ではありません。「赤旗」は共産党が、「聖教新聞」は宗教団体の創価学会が発行する新聞で、政党や団体の主張を日々展開しています。新聞には放送法のような法律はなく基本的に自由です。

 これに対し放送は、限られた公共の電波に乗せないと視聴者に届かないため、特定の党派や主義の主張をしてはいけないと定められているのです。ただ、毎日毎日たくさんのニュースがあるなかで、何を取材するか、何を報道するか、何をトップで報じるかなど、あらゆる場面で報道機関ごとの「価値判断」が働きます。純粋な「公平」は極めて難しいことはわかりますよね。

 そんな中で高市総務相が言うように、ある報道が不偏不党から逸脱しているか、公平かどうかを大臣や政権が判断することになったら、極論すれば、気に入らない内容だったら電波を停止することもできることになります。少なくとも、この大臣発言だけでも放送局への圧力になるでしょうし、多くの人が心配している「報道の萎縮」につながるかもしれません。

 テレビ朝日系列のニュース番組「報道ステーション」のキャスターを3月で降板する古舘伊知郎さんは記者会見でこう語りました。
 「(ニュースキャスターは)私の中では、権力に対して警鐘を鳴らす、監視するということを担っている。しかし一方で商業放送です、民間放送です、電波事業です。だから、とことん偏って、新聞のように突っ走ることもできない。その綱引きが、こっち行ったらこっち戻るというような、僕はそのゆらぎを10年くらいやってきた。基本的にニュースキャスターというのは反権力であり、反暴力であり、言論の自由を守る、表現の自由を守るという側面もあるので、あまりに偏ってはいけないとはいえ、まったく純粋な中立公正などありえない」「ニュースキャスターが意見を言ってはいけないということはないと思っていますし、あるいはまた、偏っていると言われれば、偏っているんです、私。人間で偏っていない人はいない。客観を装っても、主観内客観に過ぎないわけですから。放送法の問題はもちろんあると思いますけど、あれは法的規範なのか、倫理規範なのかという議論があるところで、私は私なりに色々考えますけど、基本的には偏らない放送はできないという思いでずっとやってきました」
 放送法の規定のもとで、日々苦悩しながら主張を展開してきた思いが伝わってきますね。

 言論・表現の自由、中立公平、客観報道といったことは単純、簡単な問題でないことはわかってもらえたでしょうか。マスコミをめざす皆さんはもちろんですが、他の業界をめざす皆さんにとっても、とても大事なテーマです。ぜひ一人ひとりが考えてみてください。

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