ニュースのポイント
安倍政権が携帯電話料金を引き下げさせようとしています。11日の「今日の朝刊」でも触れていますが、家計に占める携帯電話料金が重荷になって個人消費が増えず、アベノミクスが足踏みしているとみているためです。NTTドコモ、KDDI、ソフトバンクの携帯3社は料金プランの見直しに入っています。携帯料金が下がったり、使い方に応じた安いコースができたりすることは、利用者としてはうれしいことではありますが、政府が民間企業の商品の料金に口を出すというのは、市場経済の否定につながることです。まともな経営者なら怒るべきことです。しかし、今のところ政権を表立って批判する経営者はいません。かつて日本には、政府や権力者と大げんかした末に、やりたいことを貫いた経営者が何人もいました。日本の経営者たちは小粒になったな、と思います。
今日取り上げるのは、経済面(10面)の「携帯3社、新料金手探り/水準引き下げは慎重/見通せぬ「家計負担の軽減」」です。
記事の内容は――総務省が年内にまとめる携帯電話料金の引き下げ策をめぐり、NTTドコモの加藤薫社長は12日、来年3月末までに自社の料金プランを改善する考えを示した。KDDI(au)、ソフトバンクも料金の見直しを始めたが、料金水準の引き下げには3社とも慎重だ。家計の負担減につながるかはまだわからない。
(東京本社発行の朝日新聞朝刊最終版から)
就活アドバイス
「昔はよかった」という話は、若い人には不評かもしれませんが、ここはそれでも書こうと思います。今の経団連会長はじめ大企業の経営者が、あまりにも政府のいいなりだからです。「賃上げをもっとしなさい」「設備投資をもっとしなさい」と政権からいわれるのは、一般論に近い話なのでまだいいとして、携帯電話料金の引き下げを指示されて、唯々諾々と引き下げ策を検討している経営者を見ると、情けなくなります。「政権の指示には従わない。なぜなら市場経済では料金は私企業が決めるものだから」と言い切る骨のある経営者はいないものでしょうか。その上で、利用者に評判の悪いところがあれば「自社の判断」として直せばいいのです。昔は、骨のある経営者がたくさんいました。
戦後間もない頃、川崎製鉄(現JFEスチール)に西山弥太郎という社長がいました。西山社長は、千葉市に大製鉄所を建設すると発表しました。まだアメリカ占領下の1950年のことです。政府はこの計画に大反対します。当時、日本に37基あった高炉(鉄を作る炉)のうち12基しか動いていない状態で、鉄鋼業は縮小しないといけないと考えていたからです。当時、法皇とまで言われた日銀の一万田尚登(いちまた・ひさと)総裁は「工場にぺんぺん草を生やしてやる」とまで言ったそうです。しかし、西山社長は、政府の許可が下りないまま、準備を進めます。資金は、予定していた政府資金が借りられないため、世界銀行から借りてきます。そうして、製鉄所が姿を現してくるうちに経済状況の好転もあって政府も徐々に軟化して、稼働にこぎ着けました。この製鉄所が、川鉄を大きくしただけでなく、日本の高度成長の一翼を担ったのは間違いありません。
本田技研工業(ホンダ)の創業者本田宗一郎氏も政府と大げんかをしながら、世界のホンダを育てました。1960年代、通産省(現経済産業省)は日本の4輪メーカーを10社に集約しようとしていました。この中にホンダは入っていませんでした。ホンダは、すでに2輪から4輪にも進出しようと組織を作って開発に入っていました。激怒した本田氏は、通産省の天皇といわれた佐橋滋事務次官に会います。「ホンダは4輪車は作るな。そうおっしゃられるのですね」「そういうことです。2輪車だけで企業として存続していけるでしょう」「うちの株主でもないあなた方に、4輪車は作るななどと指図されるいわれはない」。こうして本田氏は席を蹴って帰りました。4輪車開発にはさらに力を入れました。政府は認めていません。売り出せる車のメドがたつと、新聞に「ホンダが発売する4輪車S500のお値段は?」というクイズを載せた広告を出したのです。大反響でした。574万通という応募がありました。こうした宣伝も功を奏したのか、通産省が4輪車メーカーを集約しようとした法案は廃案になりました。ホンダは大手を振って4輪車に進出することができ、今の世界有数の自動車メーカーホンダがあるのです。
ヤマト運輸がした政府との大げんかは、いくつもの裁判にまでなりました。ヤマト運輸の小倉昌男社長は、1976年に全国規模の個人宅配事業を始めました。クロネコヤマトの宅急便です。日本で初めての事業でした。運輸業は、運送業者を守るためにがんじがらめの規制がある世界です。すぐさま規制との戦いが始まります。路線免許がないといけないとか、免許は都道府県ごとに必要とか、運賃は運輸省の認可が必要とか。規制に従おうと免許の申請をしたり、運賃の申請をしたりしても、たなざらしにされます。とうとう、ヤマト運輸は運輸大臣を相手取って訴訟を起こしました。こうしたいくつもの訴訟を経て、政府もヤマトのビジネスモデルを徐々に認めるようになりました。今の便利な宅配便は、こうした激しい戦いの末にできたものなのです。
今の若い人には、経済人が政府とけんかするなんて考えられないのかもしれません。でも昔はこんな経営者がたくさんいたのです。「政府となれ合い始めたら企業は終わりだ」などという言葉を経済記者だった私は色んな人から聞きました。確かにそうした気骨のある経営者のいる会社が発展してきたように思います。経営者にどのくらい気骨があるか、は会社を見るときとても重要です。
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