ニュースのポイント
国産初のジェット旅客機MRJ(ミツビシ・リージョナル・ジェット)が初飛行に成功しました。世界で1万機超の旅客機が飛んでいる時代に、小さな旅客機の開発でなぜこんな大騒ぎになっているのでしょう。日本の航空機産業の歴史と可能性を学びます。(編集長・木之本敬介)
今日取り上げるのは、総合面(2面)の「時時刻刻 国産の翼 世界へ再挑戦/MRJが初飛行/脱下請け 小型機勝負 燃費の良さ・快適さ売り/次世代産業の柱 官民期待」です。
記事の内容は――MRJが11日、初めて飛んだ。国産旅客機の開発は、プロペラ機のYS11以来、半世紀ぶり。欧米の下請けに甘んじてきた日本の航空産業が、世界市場に再び挑む。自動車などに続く、ものづくりの柱の一つに育つのか、期待がかかる。今後は主に米国で約2500時間もの飛行試験を繰り返し、2017年春の納入をめざす。受注は全日本空輸(ANA)を含む日米など6社から計約400機で、今後6倍の2500機をめざす。今後20年で約5000機の需要があると見込む小型機市場の半分。国は3000億円近くかかっているMRJ開発費の一部を負担。新幹線や発電所の輸出と同じく、MRJも「日本品質」の一つとして売り込む。
(東京本社発行の朝日新聞朝刊最終版から)
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昨日の午前、MRJ初飛行の瞬間をテレビで見ました。流線形の機体が青い空を飛ぶ姿は美しく感動的でしたが、実際に飛び上がるまではちょっとドキドキでした。なぜならこの航空機、2008年の開発本格化から7年半が経っています。当初の予定では2011年に初飛行してすでにお客さんを乗せてたくさん飛んでいるはずでしたが、設計変更や部品調達の遅れで、4回も初飛行が延期されてきたからです。その背景には、半世紀ぶりの国産旅客機開発という事情があります。
今日の記事などから、MRJ初飛行までの日本の航空産業の歴史と現状、将来を整理します。
【歴史】戦前の日本は、ゼロ戦をはじめ世界トップレベルの航空技術と生産力を持っていたが、敗戦で連合国軍総司令部(GHQ)が1945年から7年間、航空機の開発、製造を禁止。1962年に国家プロジェクトとして三菱重工などが関わったプロペラ旅客機YS11が初飛行したが、売れ行きが悪く1973年に生産終了。その後、日本の航空業界は米ボーイングへの部品供給や自衛隊機の生産に特化してきたが、国産の旅客機開発は悲願となった。
【オールジャパン】世界の航空機市場は新興国の経済発展にともなう旅客数の増加などで急成長が見込まれる。20年後には今の倍の3万機になるといわれるほど。参入のラストチャンスとみた経済産業省は2003年、官民共同で小型旅客機の開発プロジェクトに着手。2008年に三菱重工を中心にMRJの開発が始まった。三菱航空機が設計し、親会社の三菱重工業が組み立てる。三菱航空機には、トヨタ自動車や三菱商事、住友商事、三井物産なども出資。開発には川崎重工業や富士重工業の技術者も加わるオールジャパン態勢となった。ANAも開発を支援する。
【世界の小型機市場】「リージョナルジェット」とは、地方空港と拠点空港などを結ぶことを想定した座席数100席以下の小型ジェット旅客機。米国の都市間や格安航空会社(LCC)などに利用され、アジアや中南米などで需要増見込まれる。ブラジルのエンブラエル、カナダのボンバルディアの2社が圧倒的なシェアを持ち、ロシアや中国でも開発が進む。MRJは燃費のよさと客室の快適さを売りに世界一を狙う。
【すそ野が広い「基幹産業」へ】官民挙げて取り組む背景には、飛行機づくりを次世代の産業の柱に育てる狙いがある。電機にかつての勢いはなく、自動車も国内生産の伸びは見込みにくい。欧米の下請けに専念してきた航空産業の年間出荷額は現在、自動車の40分の1の1.3兆円で伸びしろは大きい。航空機に使う部品の点数は、大型機で自動車の100倍にあたる300万点、小型機でも100万点といわれ、極めてすそ野が広い産業。現在はMRJに使われている国産部品は主翼や胴体など約3割で、エンジンをはじめ油圧システム、空調、内装などの多くが外国製。今後は中核部品の国産化や最先端の部品をつくる多くの中小企業の育成が課題だ。
米ボーイングの航空機は、東レの
炭素繊維が大量に使われているほか、日本製の部品が多数使われ「準国産機」などとも呼ばれます。こうした下請けで技術を磨いてきた日本の航空機業界ですが、下請けの売り上げは発注元の意向に左右される面が大きくあります。日本で世界的な旅客機の完成機メーカーが育つ可能性と、中小企業の技術力に注目してください。
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