2013年09月02日

大手銀行、激動の歴史を知ろう

テーマ:経済

ニュースのポイント

 かつて長銀(ちょうぎん、日本長期信用銀行)といえば、興銀(こうぎん、日本興業銀行)、日債銀(にっさいぎん、日本債券信用銀行)とともに「長信銀3行」と呼ばれ、就活生の間でもトップクラスの人気企業でしたが、いまは一つも残っていません。1990年代後半の金融危機以降、日本の銀行は大再編の時代を経て今の姿に落ち着きました。大手銀行をめざすみなさんは、基礎知識として金融再編の歴史を押さえておきましょう。

 今日取り上げるのは、経済面(4面)の「証言そのとき/外資流VS.日本流① 長銀買収 再生に挑む」です。
 記事の内容は――銀行が相次ぎ経営破綻した1990年代後半の金融動乱の時代、外国資本が本格参入した。日本の金融界の「横並び」体質を変えた半面、外資流と日本流の対立も生じた。長銀を母体に発足した新生銀行元社長の八代政基氏(84)が振り返る。

(東京本社発行の朝日新聞朝刊最終版から)

就活アドバイス

 先日も取り上げた話題のドラマ「半沢直樹」の舞台、東京中央銀行は東京第一銀行と産業中央銀行が合併してできたという設定で、いまだに旧東京第一と旧中央産業の出身行の派閥争いが背景に描かれています。実際の銀行も20年前の名前のまま続いている大手銀行は一つもありません。私の大学の同期生たちも、別々の銀行に就職したのに、その後同僚になったケースが多数あります。

 中でも、大きく姿を変えたのが「長信銀3行」です。長信銀は1952年施行の長期信用銀行法に基づき、金融債という債権を発行して集めた資金を、企業に長期的に貸し付けて設備投資などを支えてきました。戦後の経済復興にあたり、製鉄・造船などの重厚長大企業に長期資金を優先的に供給するために設けられた仕組みです。ところが、大企業が株式や社債で直接、市場から資金を調達するようになったこと、さらにバブル崩壊の影響で巨額の不良債権を抱えました。長銀と日債銀は1998年に破綻(はたん)して一時国有化され、それぞれ「新生銀行」「あおぞら銀行」と名前を変えて、今は普通銀行になっています。興銀は、第一勧業銀行、富士銀行と事業統合して、みずほ銀行を擁する「みずほフィナンシャルグループ」になりました。

 日本独特の制度だった長信銀は役割を終え、金融自由化を経て、長信銀、普通銀行などの銀行の業態の垣根はほぼ消えました。今は、自由化された市場でメガバンク間の競争に加え、グローバル化で世界の金融グループとの競争も激しくなっています。銀行の役割は時代に応じて変わり、取り巻く環境も激変しています。今回の記事「証言そのとき/外資流VS.日本流」は毎週月曜日の経済面に掲載されます。銀行の歴史や現状を記事で学んでください。

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