ニュースのポイント
きのう6月23日は、太平洋戦争末期の沖縄戦の犠牲者らを悼む「慰霊の日」でした。戦争中に国内で唯一、大勢の民間人を巻き込んだ地上戦があった沖縄で組織的戦闘が終わったとされる日です。過ぎ去った話ではけっしてなく、今の米軍基地問題の根幹もここにあります。歴史を知って、今を考えましょう。(編集長・木之本敬介)(写真は、沖縄戦の犠牲者ら24万人以上の名が刻まれている「平和の礎(いしじ)」=23日、沖縄県糸満市の平和祈念公園)
きのう6月23日は、太平洋戦争末期の沖縄戦の犠牲者らを悼む「慰霊の日」でした。戦争中に国内で唯一、大勢の民間人を巻き込んだ地上戦があった沖縄で組織的戦闘が終わったとされる日です。過ぎ去った話ではけっしてなく、今の米軍基地問題の根幹もここにあります。歴史を知って、今を考えましょう。(編集長・木之本敬介)(写真は、沖縄戦の犠牲者ら24万人以上の名が刻まれている「平和の礎(いしじ)」=23日、沖縄県糸満市の平和祈念公園)
先日、同僚がある大学で講義をしたとき「沖縄で地上戦があったことを知っている人?」と問いかけたところ、約100人のうち手を挙げたのは1人だけだったそうです。知っていても手を挙げなかった人もいるでしょうが、沖縄戦を知らない学生は増えているようです。
学校で習わなかったかもしれませんし、メディアの伝え方に原因があるかもしれません。ただ、記事に出てくる天皇陛下の言葉にもあるように、日本人として知っておかなければならないことがあります。70年も前のことですが、今の日本、あるいは私たちの日々の暮らしは過去の歴史の上に成り立っています。自ら学んでほしいですし、少なくとも「自分には関係ないから、知らなくていい」という問題ではないと思います。
沖縄戦は1945年3月末に始まりました。4月1日に沖縄本島に上陸した米軍は、中部、北部を順次制圧。日本軍は本土侵攻を少しでも遅らせるため、首里(現・那覇市)に司令部を置き、本島中南部の地下壕(ごう)に立てこもって持久戦を展開しましたが、5月末には多くの避難民がいる南部へ撤退。軍人と住民が入り乱れ、「鉄の暴風」と例えられた砲弾の下にさらされました。「米軍に捕まると殺される」といった情報も流布され、追い込まれた住民たちは、刃物で首を切ったり、身を寄せ合って手投げ弾を爆発させたりして、少なくとも1000人が「集団自決」したといわれています。
沖縄戦での死者数は、県によると米兵約1万2500人を含めて約20万人。このうち沖縄県民の犠牲者は12万人超に上りました。県民の4人に1人が亡くなったことになります。もし今自分の周りで同じことが起きたら……と想像してみてください。ひめゆり平和祈念資料館の集計では、今のみなさんよりも若い14~19歳の学生や生徒も、約2000人が戦闘員や看護要員として「鉄血勤皇隊」「ひめゆり学徒隊」などに動員され、半数が命を落としたといいます。
さらに戦後、米軍は「銃剣とブルドーザー」と呼ばれる武力をともなった土地接収をし、本土にいた部隊の沖縄への移駐も進み、1972年の本土復帰後も負担が集中しました。現在、在日米軍専用施設の74%が沖縄にあり、沖縄本島に占める米軍基地面積は18%にのぼります。
記事で武富さんが強調しているのが、「歴史的経緯を知ってほしい」ということです。沖縄への米軍基地集中も、いま政府が進めようとしている米軍普天間飛行場(宜野湾市)の同県名護市辺野古への移設も、70年前からつながっているのです。今日の記事を、沖縄や米軍基地問題を考えるきかっけにしてください。朝日新聞デジタルの沖縄特集「沖縄はいま」には、沖縄戦に関する話がたくさん載っています。こちらもぜひご覧ください。
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2024/11/21 更新
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