大型SC、ネット通販などに押され
地方百貨店の経営が厳しくなっています。2月27日には、JR仙台駅前の「さくら野百貨店仙台店」(写真)を運営するエマルシェ(仙台市)が自己破産を申請し、店舗は営業を停止しました。
百貨店は、大型ショッピングセンターやネット通販などに押され、長期的に売り上げが低迷しています。特に地方の百貨店は、人口減少による地域経済の落ち込みが加わり、より大きな減少となっています。ただ、中心部にある百貨店は街のシンボル的存在であり、閉店や縮小は街全体の沈滞ムードに拍車をかけます。このままでは先は明るくありませんが、思い切った業態変更で成功する可能性もなくはありません。
(2017年2月28日 朝日デジタル)
全国売上高、36年ぶり6兆円下回る
全国の百貨店の売上高は、1991年の9兆7000億円をピークに減り続け、2016年は36年ぶりに6兆円を下回りました。約4割の減少になります。個人消費の低迷に加え、訪日観光客による「爆買い」が一段落したことも影響しています。全国の店舗数は、ピークだった1999年の311から今は3割近く減っています。
都市部と地方で分けると、地方の落ち込みが目立ちます。東京や大阪など10都市での2015年の売上高は2011年対比で4%増えていますが、それ以外の百貨店の合計は6%減っています。
1970年代までは輝いていた時代
戦後、百貨店が輝いていた時代がありました。休日に家族そろって百貨店に行き、品物を見て、屋上の遊具で遊んで、大食堂で食事をするというのがレジャーでもありました。NHKの朝ドラ「べっぴんさん」で、主人公たちが設立したベビー服の「キアリス」が大急百貨店に出店できるようになったとき、「なにせ大急ですよ」と大急の担当者が自慢げに何度も言うようなステータスがあったのです。しかし、それも1970年代くらいまででした。値段の安さから急成長したスーパーにおされ、売り上げで抜かれたのがこの頃でした。その後もコンビニ、ディスカウントストア、ファストファッション、ネット通販など次々に現れる新業態にお客さんを奪われ、じわじわと地盤沈下していったわけです。
(写真は1967年、大阪の百貨店の食堂です)
地方で相次ぎ閉店
地方百貨店の閉店は、相次いでいます。昨年には、そごう・西武が埼玉県の西部春日部店、千葉県のそごう柏店、北海道の西武旭川店の3店舗を、今年2月末には大阪の西武八尾店、茨城県の筑波店を閉めました。また3月には、三越伊勢丹が三越千葉店と三越多摩センター店を閉めます。さらに伊勢丹松戸店、伊勢丹府中店、広島三越、松山三越の4店舗では、縮小やテナントの導入を検討しています。地方資本の百貨店でも、岩手県花巻市のマルカン百貨店が昨年閉店し、熊本市の県民百貨店や高松市の高松天満屋なども閉店しています。
(写真は、2016年9月、そごう柏店閉店セールの様子です)
最先端に生まれ変わる可能性も
百貨店、中でも地方百貨店への就職は、こうした逆風を覚悟する必要があります。ただ、もともと一等地に立地しているので、業態を少し変えれば、最先端のショッピングセンターに生まれ変わることもあり得ます。業態自体が役割を終えつつあるときでも、ぎりぎりまでくると、大変身して最先端に躍り出ることがあります。かつての繊維産業が、新しい素材メーカーとして生まれかわったり、写真フィルムメーカーが医薬品や化粧品などで息を吹き返したり。そうしたエネルギーのある会社かどうか見極めるのは難しいでしょうが、「未来はない」と早々に見限る必要はないと思います。