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2016年01月22日

初の100万台超えへ スバルは「小粒でぴりりと辛い」真田幸村タイプ?

自動車・輸送用機器

スバル、100万台超計画 2016年の世界販売(2016年1月19日朝日新聞朝刊)

 スバル車の富士重工業は2016年に前年より6%多い103万台を売る世界販売計画を発表した。世界販売の6割を売るの好調が続くと予想。初めての100万の大台で、5年連続の過去最高になる。国内は前年並みの16万台だが、海外は前年より7%増の87万台で、うち米国では6%増の61万台を見込む。

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 100万台という数字は、世界トップであるトヨタ自動車のほぼ10分の1。量では“小粒”ですが、営業利益率(売上に対する利益の割合。2015年4~9月)で見ると富士重工業は約17.8%でトヨタの約11.2%を大きく引き離しています。日産自動車は6.6%、ホンダは5.5%という数字を見ても利益率の高さは際立ち、経営的には最優等生なのです。冒頭の記事によれば、「米国の販売店は通常2カ月分の在庫を持って商売するが、スポーツ用多目的車(SUV)のフォレスター(日本名レガシィ)、アウトバック(同レガシィアウトバック)を中心に、在庫が半月分しか持てない状況が続いており(中略)工場の生産能力を増強する」とのことです。

 いま絶好調の富士重工業ですが、その道のりは平坦ではありませんでした。会社の前身は戦前、日本陸海軍に軍用機(一式戦闘機「隼」や「紫電改」といった名機です)を納めていた中島飛行機です。戦後、占領軍から航空機製造が禁止され、技術者は自転車やリヤカー、乳母車などを作って糊口(ここう)をしのいだそうです。その後、スクーターの「ラビット」がヒットし、グループ企業が1955年に合同して富士重工が発足。1958年には国民車とよばれ「テントウ虫」の愛称で親しまれたスバル360を売り出します。1970年代には米国市場に進出し成功しますが、1980年代に入ると円高や日米間の貿易摩擦問題が逆風となって対米輸出が激減し、赤字に転落。経営的にも当初提携関係にあった日産が経営危機で富士重工株を米ゼネラル・モータース(GM)に売却、さらにGMが不振になり株はトヨタに売却――ということで、2005年から筆頭株主はトヨタ自動車になっているのです。

 このようにアップダウンの大きかった富士重工ですが、航空機製造をルーツとし「オンリーワン」をめざす「車づくり」のこだわりが、米国の消費者に支持されたようです。もともと1970年代に世界初の四輪駆動車レオーネを発売したり、スバルのほかはドイツのポルシェくらいしか搭載していない特殊なエンジン(水平対向エンジンといいます)を採用するなど、そのこだわりに米国にはスバリアンと呼ばれる熱狂的なファンがいるそうす。富士重工は体格の大きい米国人向きに日本人仕様のレガシィの車体を大きくするなど、米国市場にフォーカスした戦略も功を奏しています。トヨタのように、「万人のための車」ではないところに活路を見いだしているのですね。

 「幸村はスバル・家康はトヨタ・信長は? 武将トミカ発売」(2016年1月17日朝日新聞デジタル)という記事によると、玩具メーカーのタカラトミーが千葉・幕張メッセの東京オートサロンで、ミニカーと戦国武将を掛け合わせた「トミカ武将コレクション」を先行発売したそうです。計6種類あって、今年のNHK大河ドラマでおなじみの真田幸村(信繁)がスバルの真っ赤な「WRX ST1 Type S」です。スバルが工場をもっている群馬県は、かつて真田家が治めていた地というのが理由だそうですが、それよりも有力戦国大名に翻弄(ほんろう)されながらも知力で生き抜いた真田家、大阪夏の陣では徳川家康を小兵力ながら追い詰めた真田幸村の姿がスバルに重なる、と解釈したほうがふさわしいと思いませんか。よりビッグな企業がより優れているというわけではありません。小粒でもキラリと光る企業をあなたも見つけてみましょう。

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