見直される「造船ニッポン」
島国である日本に船は欠かせません。かつては「造船ニッポン」という呼び名が世界にとどろいていました。しかし、造船業は機械化が簡単ではないため、日本経済が成長するに伴って人件費の負担が大きくなり、韓国や中国に押されるようになりました。しかし、韓国や中国の経済発展とともにコスト差は縮まる傾向にあり、技術力の高い日本の造船も見直されつつあります。そんな中、今治造船(愛媛県今治市)が香川県丸亀市に巨大な造船ドックを完成させました。国内の新ドックは17年ぶりです。これからも世界の荷動きは確実に増えていきます。造船業が再び有望産業になる可能性もないとはいえません。
(2017年9月19日朝日新聞デジタル)
(写真は、17年ぶりに完成した今治造船の新ドック=2017年9月18日撮影)
日本は3位が定位置
造船は戦後の日本の復興を支えた産業のひとつでした。1960年代から70年代にかけては次々に世界最大と言われる大型タンカーを建造し、造船業界は「花形産業」になりました。しかし、2度にわたる石油危機によりタンカー需要は減り、加えて人件費が上がったことも打撃となり、日本の造船業界は「斜陽産業」に転じてしまいました。代わって伸びてきたのが韓国で、建造量世界一の座を奪われました。21世紀に入ると中国の生産力がぐんぐん上がり、韓国とトップを争う存在になりました。最近は、韓国と中国がほぼ同じくらいの建造量で、日本は大きく引き離されて3位というのが定位置になっています。ただ、世界の建造量に対してはこの3国で9割前後を占め、造船は東アジアの産業となっています。
(写真は、熊本の日立造船有明工場で建造された超大型タンカー。大型タンカーブームの最後の時期にあたる=1977年7月1日撮影)
大手は縮小、中手が伸びる
国内の業界も様変わりしています。20世紀は三菱重工業、IHI、NKK、川崎重工業、日立造船、三井造船、住友重機械工業という大手7社が中心でしたが、このうちIHI、NKK、日立、住友の一部は造船部門を統合し、ジャパンマリンユナイテッドという会社になりました。
伸びたのは、かつては中手といわれた会社で、中でも愛媛県今治市に本社おく今治造船は規格化したコンテナ船の大量生産などで大きくなり、いまや日本一の造船会社となっています。今回、日本で17年ぶりに新しいドックをつくったのも今治造船です。ちなみに、17年前にドックをつくったのも同じ今治造船でした。
(写真は、17年前につくられた今治造船のドック=2000年3月24日撮影)
徹底した効率化進める
造船業界は「労働集約型産業」といって、人手がかかる産業です。ただそうはいっても、日本の業界は韓国や中国との競争に負けないよう、機械化、自動化、効率化を進めてきました。それによって、ここ40年ほどをみると、建造量はほとんど変わりませんが、総従業員数は8割近く減っています。今治造船の成長は、こうした効率化を徹底的に進めたことや大手に比べて人件費を抑えられたことなどによるとみられています。
今後も成長は続く
造船業界の市場規模は、世界の荷動きによって増減します。日本造船工業会によれば、世界の造船市場は85年間で60倍に成長しているそうです。もちろん、世界の景気は波がありますので、造船業界も浮き沈みがありますが、長い目で見ると成長し続けています。経済のグローバル化はまだまだ進みそうですので、これからも成長は続くと思われます。また、これまで画期的な技術革新が長くなかった業界ですが、第4次産業革命と言われる時代に入っていますので、何があるかわかりません。斜陽産業のイメージがついた業界ですが、そうしたイメージにとらわれず研究してみるといいと思います。