悲しみ、今も胸に JR宝塚線事故から11年(2016年4月25日朝日新聞夕刊)
乗客106人と運転士が亡くなり、562人が負傷したJR宝塚線(福知山線)脱線事故から、25日で11年を迎えた。事故現場は、昨年12月から一部保存工事を開始。仮囲いが取り巻き、景色が一変したマンションの前で、遺族らは静かに祈りを捧げた。
JR西日本は、昨年12月にマンションの一部保存や周辺整備工事に着手。9階建てのマンションは、上層階を取り壊して4階までを階段状にして保存する。工事は2018年夏ごろ完了する予定。
目のつけどころはこちら
通勤列車がカーブを曲がりきれず脱線し、100人を越す死者が出たJR宝塚線の事故から11年が過ぎました。多くのみなさんは小学生でしたからよく覚えていないかもしれませんが、1987年にJRが発足して以降、最悪の鉄道事故でした。
大きな飛行機事故や鉄道事故が起こった場合、国土交通省の外局である「運輸安全委員会」(JR宝塚線事故当時は航空・鉄道事故調査委員会)が事故の原因を調べ、再発防止策をつくります。宝塚線事故の原因について委員会は、事故で死亡した運転士のブレーキ使用が遅れ、制限速度を大きく上回る速度でカーブに進入したためと認定。ブレーキが遅れた理由は、運転士が事故の直前にオーバーラン(所定の位置を越えた場所に列車を止めること)などのミスがあり、その言い訳を考えて注意がそれたため、と指摘しました。そして、この運転士を追い込んだ背景にはJR西日本がミスをした運転士に対し草むしりや反省文を延々書かせるなど、見せしめのような研修を課す「日勤教育」が広く行われていたことがあると明記。日勤教育を常態化させていたJR西日本の体質が重大事故につながったとしたのです。
JR西日本は指摘をうけて日勤教育のあり方を見直し、内容も懲罰的なものから実践的な再教育に改めました。日勤教育の回数そのものも、2004年度の約600件から2013年度には184件まで減っています。事故の遺族らでつくる「4・25ネットワーク」は、毎年開いてきた「追悼と安全のつどい」を「JR西日本の安全再構築への道筋がついた」として今年はとりやめることにしました。失った信頼は果てしなく大きなものがありますが、少しずつ取り戻されてきているのでしょうか。
交通の歴史は大事故の歴史でもあります。そして事故への対策の積み重ねが、交通機関の安全性を高めてきました。鉄道の場合、車両火災で106人が死亡した「桜木町事故」(1951年)を機に非常用ドアコック表示の明確化や車両の不燃化が進行。三重衝突事故で160人が犠牲となった「三河島事故」(1962年)以降、自動列車停止装置(ATS)の設置が急速にすすみました。
鉄道業界は国内市場が縮んでいることから経営の多角化を進めていますが、本業である鉄道業の根幹は一にも二にも「安全性」です。業界を目指す人はこういったニュースをきっかけに、鉄道や航空の事故について考える機会をぜひ作ってください。