中島隆の輝く中小企業を探して 略歴

2015年12月25日

銀行マンから転身、和菓子屋の8代目が指揮する「チャレンジする老舗企業」(第33回)

 200年をこえる歴史をもつ老舗。そう聞いて、みなさんはどんなイメージをいだきますか?
 ベテランさんばかりなんだろうなあ、と思いますか?
 古くからのしきたりがあるんだろうなあ、と思いますか?
 守りの姿勢で、あたらしいことをしてないんじゃないかなあ、と思いますか?

 お恥ずかしいかぎりですが、これらは、わたしが思ったイメージでした。

 東京スカイツリーを近くにのぞむ東京・亀戸に本店があり、東京都内を中心に展開するくず餅屋の「船橋屋」をおとずれ、わたしは自分の浅はかさを思い知ることになります。若い人が多く、チャレンジの精神にあふれていたのです。
 老舗には、変えてはならぬもの、もあります。社長の渡辺雅司さん(52)に説明してもらいましょう。
 「自然の恵みに感謝すること、天然を貫くこと、それにこだわっています」
 質の高い小麦でんぷんを地下天然水を含む水で1年以上にわたって発酵させ、ていねいに蒸し上げます。そして、秘伝の黒糖蜜をかけ、きな粉をまぶします。あんみつ、みつ豆、ところてん……。自然の恵みにこだわる製品づくりを、船橋屋は貫いているのです。(写真は天然の素材にこだわったくず餅。お客さんがたえない大人気商品です)

 では、そんな船橋屋が老舗のイメージと違うのはどこなのでしょうか。おもなことを列挙してみます。
 社員はおよそ80人、パートさんを入れると180人。若い人が、びっくりするぐらい多い。ベテランさんを見つける方が難しいくらいなのです。
 接客販売、営業、企画……。それらの部門を超えた社内横断のプロジェクトがいくつもあります。そして、社内表彰の多いこと、多いこと。
 月刊MVP。入社2年目の社員を対象にした、「ルーキー・オブ・ザ・イヤー」。
 そして、「ありがとうオブ・ザ・イヤー」。
 社内で「ありがとう」の気持ちをつたえあうために、社員やパート「ありがとうカード」というのを渡し合っているのですが、その数の多かった人を表彰するものです。
  ほかにも、いろいろあります。きっと、自分も何かで表彰してもらえる、と確信できる数です。

 賞が少なければ、どうせ私なんか、とあきらめてしまうかもしれませんね。私なんかは、その典型です。
 表彰を受けるということは、社内から認められるということです。表彰者が増えていくと、お互いに認め合う社風ができてくるのです。
 あわせて、くず餅づくりで培った技術をつかった健康産業への進出、アジアへの進出などにも力を入れ始めています。
(天然素材にこだわったあんみつ)
 老舗のイメージとここまで違う路線を進んでいるのには、理由があります。。
 社長の渡辺さんは、8代目です。もともとは銀行マンでした。いまは、3大メガバンクに集約されていますが、もともとはいくつもの都市銀行に分かれていました。渡辺さんはその一角の、関西系の、いちばん自由な社風だといわれていた都銀に入行します。
 そして、会社への融資を控えたり、会社から融資したカネを回収したりといった銀行の姿を間の当たりにします。いわゆる、貸し渋り、貸しはがし、というやつです。
 渡辺さんは思います。
 「銀行は『晴れた日に傘を貸し、雨の日に取り上げる』といわれる。これは本当だ」
 江戸の商売人の家系ですから、正義感が強いんです。だから、銀行の上役に直訴しました。日本経済をダメにしたのは銀行だ! 銀行のここがおかしい、あそこもおかしい、などと。

 ところがそんな時に6代目、つまり渡辺さんの祖父が、がんで倒れてしまいた。祖父は、船橋屋がつづいていくことを願っていました。渡辺さんの父(7代目)まではつながりますが、8代目がどうなるのか気をもんでいたそうです。その意を受け、1993年に渡辺さんは銀行をやめ、家業に入りました。安心したのでしょうか、まもなく6代目は亡くなりました。

 元銀行員の渡辺さんは、社内の大改革に乗り出します。まずはパンチパーマ、茶髪は禁止。就業時間の酒盛り禁止。会社員ですし客商売なのですからごくふつうの禁止事項なのですが、まずそこから手をつけます。また、取引業者の見直しもしました。ながーーく取引していただけに、関係がなあなあになっていたのです。100人を超える社員の大部分が、会社を去っていきました。ベテランさんがほとんどいない理由は、ここにありました。

 渡辺さんは、心を鬼にして人を切りました。でも、ある日、自分の顔を鏡で見て、ギョッとします。
 顔面血だらけ、に見えたのです。人を切った返り血を浴びたのでしょうか。
 そこで、渡辺さんは、社員を幸せにすることに目覚めていくのです。
「大銀行は、会長や頭取を頂点にしたピラミッド型組織だ。でも、うちのような会社では、それは合わないと思ったんです」
「うちはオーケストラ型組織にしよう、と思ったんです。すべての部、社員、パートが奏でる音を、社長の私が指揮者になってまとめればいい、と考えたんです」
 ちなみに、渡辺さんは中学時代、吹奏楽部の指揮者をしていました!
 この春に入社した濱田愛利さん(23=写真左)。東京都内の女子大を卒業しました。
 会社説明会で渡辺社長の話を聞き、ここに入りたいと思ったそうです。
 「老舗なのに、新しいことにどんどん挑戦している。若くても、自分がしたい挑戦ができる、と聞いたのが動機でした。オーケストラ型組織っていうのもいいなあ、と思いました」
 濱田さんは本店での接客、販売を担当し、社内報づくりにも参加しています。
 「店長や先輩が教えてくださり、助けてくれる環境があります。みんながみんなに感謝し、認めあう、そして意見もいいあえます」
 船橋屋では、毎年6~7人は採用したいと考えています。誠実で、自分に限界をつくらない学生がいいとか。「でも」「だって」「だけど」は禁句。いいわけせず、人のせいにしない、そして、私がやります、という前向きな学生、大歓迎だそうです。

 会社の寿命は30年といわれています。200年つづいているなんて、たいしたもの。それは、挑戦のたまものなのですね。

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