(天然素材にこだわったあんみつ)
老舗のイメージとここまで違う路線を進んでいるのには、理由があります。。
社長の渡辺さんは、8代目です。もともとは銀行マンでした。いまは、3大メガバンクに集約されていますが、もともとはいくつもの都市銀行に分かれていました。渡辺さんはその一角の、関西系の、いちばん自由な社風だといわれていた都銀に入行します。
そして、会社への融資を控えたり、会社から融資したカネを回収したりといった銀行の姿を間の当たりにします。いわゆる、貸し渋り、貸しはがし、というやつです。
渡辺さんは思います。
「銀行は『晴れた日に傘を貸し、雨の日に取り上げる』といわれる。これは本当だ」
江戸の商売人の家系ですから、正義感が強いんです。だから、銀行の上役に直訴しました。日本経済をダメにしたのは銀行だ! 銀行のここがおかしい、あそこもおかしい、などと。
ところがそんな時に6代目、つまり渡辺さんの祖父が、がんで倒れてしまいた。祖父は、船橋屋がつづいていくことを願っていました。渡辺さんの父(7代目)まではつながりますが、8代目がどうなるのか気をもんでいたそうです。その意を受け、1993年に渡辺さんは銀行をやめ、家業に入りました。安心したのでしょうか、まもなく6代目は亡くなりました。
元銀行員の渡辺さんは、社内の大改革に乗り出します。まずはパンチパーマ、茶髪は禁止。就業時間の酒盛り禁止。会社員ですし客商売なのですからごくふつうの禁止事項なのですが、まずそこから手をつけます。また、取引業者の見直しもしました。ながーーく取引していただけに、関係がなあなあになっていたのです。100人を超える社員の大部分が、会社を去っていきました。ベテランさんがほとんどいない理由は、ここにありました。
渡辺さんは、心を鬼にして人を切りました。でも、ある日、自分の顔を鏡で見て、ギョッとします。
顔面血だらけ、に見えたのです。人を切った返り血を浴びたのでしょうか。
そこで、渡辺さんは、社員を幸せにすることに目覚めていくのです。
「大銀行は、会長や頭取を頂点にしたピラミッド型組織だ。でも、うちのような会社では、それは合わないと思ったんです」
「うちはオーケストラ型組織にしよう、と思ったんです。すべての部、社員、パートが奏でる音を、社長の私が指揮者になってまとめればいい、と考えたんです」
ちなみに、渡辺さんは中学時代、吹奏楽部の指揮者をしていました!