政治と無縁ではない「平和の祭典」
東京オリンピックはスポーツの祭典ですが、民主主義国や独裁国家など様々な政治体制や宗教の205もの国と地域から1万人以上の選手が集まった大イベントだけに、政治的なニュースも飛び出します。欧州ベラルーシの女子陸上選手が「帰国すれば投獄される可能性がある」として亡命を申請。政治的な理由から中東イスラエルの選手との対戦を避けるために棄権したアラブの選手がいます。内戦や政治的迫害のため祖国を離れて難民になりながらも出場を果たした選手もいます。「平和の祭典」といわれる五輪ですが、たびたび国際情勢の波にもまれてきました。旧ソ連で行われた1980年のモスクワ五輪は、ソ連のアフガニスタン侵攻に抗議して日本や米国など多くの国が参加をボイコット。2022年の冬季北京五輪にも、中国の人権問題を理由にボイコット論があります。東京五輪に大きな政治的対立は持ち込まれませんでしたが、やはり政治と無縁というわけにはいきません。日本選手の活躍だけでなく、五輪関連のニュースにも注目して「世界の今」を知りましょう。(編集長・木之本敬介)
(写真は、東京五輪開会式で入場する難民選手団=2021年7月23日午後、国立競技場)
ベラルーシ選手が亡命
陸上短距離に出場したベラルーシのクリスツィナ・ツィマノウスカヤ選手は8月4日、亡命を受け入れると表明した隣国ポーランドに向けて成田空港を飛び立ちました。ツィマノウスカヤ選手はインスタグラムにコーチ陣の不手際を批判する映像を投稿後の1日、急きょ帰国を命じられましたが、連れてこられた羽田空港で警察官に助けを求め、警視庁に保護されました。ソ連から独立したベラルーシは、「欧州最後の独裁者」と呼ばれるルカシェンコ大統領が27年も統治を続け、メディアやスポーツ行政も支配しています。2020年の大統領選で6選を決めた後は、不正を訴える反政権デモを激しく弾圧。五輪チームへの姿勢も高圧的で、ロシアメディアによると、東京五輪での成績不振にいらだち「ほかの国よりスポーツに金をかけているのに、何を得たのか」などと批判していました。ルカシェンコ政権は2021年5月、領空を通過中の民間機を強制的に着陸させ、乗客の反体制派の記者を拘束。同選手はインスタグラムで反政権デモを支持し「国民や友人、同僚、家族への暴力をこれ以上我慢できない。治安機関の行為は違法で受け入れられない」と批判しており、いました。欧州では選手を支援する声が続々と上がっており、欧米とベラルーシの新たな対立の火種となりそうです。
(写真は、出発前に手を振り飛行機へ向かうクリスツィナ・ツィマノウスカヤ選手=2021年8月4日、成田空港)
ミャンマーでは参加選手に批判
2021年2月にクーデターで国軍が権力を握ったミャンマーでは、東京五輪に参加する選手への世論の反発が強まりました。国軍の強権支配の下での五輪参加を「国軍への服従」とみる市民が多いからです。バドミントン女子のテッタートゥーザー選手は7月、SNSで五輪参加を表明し、「長年の夢がかなった」「みなが苦労と苦しみにある時だが、一瞬でも笑顔になれば」と投稿。ミャンマーではよく知られた人気選手ですが、SNSには「(国軍への)不服従運動に参加しないなら応援しない」「以前はあなたを誇りに思ったが、今は何も思わない」「私たちは今、独裁者を引きずり下ろすこと以外に興味はない」といった批判的なコメントが相次ぎました。クーデター後、市民は抗議デモや職場を放棄する不服従運動で国軍に抵抗。国軍の弾圧による市民の犠牲は900人を超えています。
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(写真は、テッタートゥーザー選手の東京五輪参加を報じるミャンマーの国営紙)
対イスラエルで棄権、雪解けも
柔道男子81キロ級決勝で日本の永瀬貴規選手に敗れたサイード・モラエイ選手は「イランの選手として獲得できたはずの銀メダルだ。でも、モンゴルにメダルを捧げます」と語りました。2019年、日本武道館での世界選手権で、モラエイ選手は母国イラン政府から出場辞退を迫られました。敵対関係にあるイスラエル選手と対戦する可能性があったことが理由です。それでも試合を続けたモラエイ選手は、試合直後にドイツへ渡航して難民認定を受け、当時の大統領が柔道関係者だったモンゴルの国籍を取得しました。イランに残る家族とは2年会えていません。「結果はテレビで見てくれているだろう。政治とスポーツは分けて考えている。自分たちは選手なんだ」と訴えています。
柔道男子73キロ級では、アルジェリアのフェティ・ヌリーン選手が棄権して帰国しました。1回戦を勝つとイスラエルのトハー・ブトブル選手と戦う組み合わせだったからです。地元メディアの取材に「私たちは決して、イスラエル国旗の前では戦いません」と答えました。
アラブ諸国やイランはイスラエルと長年対立していますが、今回は一部、国同士の雪解けが五輪に反映したケースもありました。柔道女子78キロ超級のサウジアラビアのタハニ・カハタニ選手はイスラエルのラズ・ヘルシュコ選手と対戦しました。サウジアラビアは近年イランとの対立を深め、「敵の敵」であるイスラエルとの関係が改善されている影響だとみられています。
(写真は、柔道男子81キロ級で銀メダルを獲得したサイード・モラエイ選手〈左〉=2021年7月27日、日本武道館)
金メダルで「We are Hong Kong」
フェンシング・男子フルーレ個人で香港の張家朗選手が優勝しました。1997年の中国返還後、香港チームとして初の金メダル。反体制的な動きを取り締まる香港国家安全維持法(国安法)のもとで暮らす香港市民は大いに沸きました。試合が中継されたショッピングセンターでは大勢の市民の「We are Hong Kong」の声が上がりました。香港メディアのインタビューに答えた男性は「この1、2年、気持ちが抑えつけられていたが、今日は興奮し、心が解放された気分だ」。ところが、表彰式で香港の旗が揚げられる際、中国国歌が演奏されると歓声は一転してブーイングに。何度も上がる「We are Hong Kong」のかけ声に国歌はかき消され、英国植民地時代の香港の旗を掲げる市民もいました。香港では2020年、国歌にブーイングするなどの侮辱行為を禁止し、刑事罰を科すことができる国歌条例が成立しています。香港は中国とは別の単独チームで五輪に参加しており、香港チームとして金メダルの獲得は史上2度目でした。
(写真は、フェンシングで金メダルを獲得した香港選手の表彰式で中国国歌が流れた際、香港のショッピングモールで中継映像を見ていた市民から「We are Hong Kong」の声があがった=「BoomHead」のユーチューブから)
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難民受け入れに冷たい国
東京五輪には、2016年リオデジャネイロ五輪で初めて結成された「難民選手団」が出場しました。
アフガニスタン、南スーダン、シリア、イランなど11カ国出身の29選手が、陸上、水泳、柔道、バドミントンなど12競技に出場しています。開会式では五輪旗を掲げて入場。騎手を務めた競泳選手のユスラ・マルディニ選手は、内戦下のシリアから2015年にドイツに逃れました。マルディニ選手は大会の意義について「世界中の人々が一つになり、希望の象徴になると思う。実現してくれた日本に私たちは心から感謝している」と語りました。
難民選手団には、内戦で国民の3分の1が難民や国内避難民になった南スーダン出身の選手が4人含まれています。一方で、南スーダンの国を代表する陸上選手4人が、群馬県前橋市で2019年秋から長期合宿したことも話題になりました。東アフリカに位置する母国は長い内戦の混乱が続き練習環境が整わなかったため来日。五輪の1年延期が決まった後も滞在を延長しました。男子1500メートルに出場したグエム・アブラハム選手はレース後、前橋のことを「マイセカンドホーム」と呼び、「群馬の人、みなさん、ありがとうございます」とよどみない日本語で語りました。
しかし、実は日本は難民の受け入れに極めて冷たい国です。2019年に難民認定を受けた人は47人。法務大臣が個別の事情を考慮して在留を認める在留特別許可などを含めても91人。前年に申請した約1万人に対しわずか約1%にとどまります。日本の認定率は欧米先進国にくらべて著しく低く、日本と同様に難民認定申請者が陸続きの国境からではなく、飛行機やボートでやってくるイタリアでは、2020年1年間の認定者数は約4500人で認定率は約11%。在留特別許可などを含めると約1万人(約24%)に上ります。五輪を機会に、日本の難民受け入れ問題についても考えてみてください。
(写真は、東京五輪で唯一の混合団体戦でドイツとの試合に臨む難民選手団=2021年7月31日、日本武道館)
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