ただいまOB・OG訪問中!

日本航空の先輩にインタビュー

第1回 学生時代、どんな就活をされていましたか?
2018シーズン 【日本航空】

日本航空調達本部調達第二部航空機グループ 大出めぐみ(おおで・めぐみ)さん

2016年12月15日

 会社で働く先輩に、いろいろとインタビューして教えていただく新企画「ただいまOB・OG訪問中」。第二弾は、日本航空(JAL)で活躍する大出めぐみさんにお話を伺います。
 大出さんは入社2年目。新人時代はグループ会社で成田空港のお客様対応をするスタッフを1年間経験し、現在は本社で海外のメーカーから航空機を調達するお仕事をされています。

【大出さんのプロフィール】
1991年神奈川県横浜市生まれ。
1歳から、父親の転勤でイギリスやシンガポールで暮らし、15歳で帰国。
慶應義塾女子高等学校から慶應義塾大学法学部へ進学。高校ではラクロス部、大学ではストリート系のダンスサークルに所属。
2014年、日本航空(JAL)に入社。

周りより出遅れて就活準備

■大出さんは、いつから就活を始めましたか?

 意識しはじめたのは大学3年の秋くらいでしょうか。ゼミは国際経済法だったのですが、周りの同級生たちは動き始めるのが早くて、3年の夏のインターンに応募するための面接準備を6、7月くらいからしていました。私自身はそれを横目に見ながらぼんやりしていて。周りは説明会やらOB・OG訪問に行っていましたけど、正直、そんなに早くから就活準備が必要とは思っていませんでした。一般的に就活が本格化する、といわれる時期にやればいいかと。

■就活の軸は何でしたか?

 面接が始まり企業を訪問するなかで志望も変わっていったので、そこまで業界は絞れていなかったですね。一貫して軸にしていたのは、「海外とかかわりのある仕事ができる」「自分がその会社で働いている姿が想像できる」「わくわくできる」、そのあたりことを意識して選んでいました。

人生の価値観問われた面接

■同期入社の社員数は?

 2010年のJALの経営破綻後、新卒採用を復活してから2年目の入社でした。総合職は男女合わせて65人くらいでしょうか。事務系で50人くらいだったと思います。

■OB訪問はしましたか?

 まったくしなかったわけではありませんが、お会いした方のイメージや働き方によってその会社を印象付けてしまう気もしたため、積極的には行っていなかったかと思います。



■JALはどんな選考でしたか?

 1次がグループディスカッション、2次がグループ面接、3次が個人面接、4次が役員面接でした。日本航空の選考では人事の方に限らず、お会いする社員の方の印象がよかったです。就活生にもお客さまとして接してくださっているというか。また面接でも、「大学で何をしていたか?」だけでなく、「あなたは人生で何を大切にしているのか」など、価値観について引き出してもらえるような質問があり、充実したやりとりができたように感じます。

座右の銘は、富山の薬売りの教え

■具体的には、どんな話をしましたか?

 「貴方が大切にしている言葉は?」という質問に対して、富山の薬売りに伝わる「七楽(なならく)の教え」についてお話しました。「楽すれば、楽が邪魔して楽ならず、楽せぬ楽がはるか楽楽」という言葉です。楽しようと手を抜けば、楽したことが邪魔をしてかえって大変になり、楽ができない。楽をしないという選択をしたほうが、後々よっぽど楽になる、というような意味だと思います。最後の「楽」を「楽しみ」に置き換えると、楽せずに毎日を過ごす事で人生への楽しみがあるとも解釈できます。就活用にあえて選んだ言葉ではなく、高校生のころにテレビで見て面白い言葉だな、と記憶していました。

■その言葉にひかれた理由は?

 中学校までは2、3年毎に転勤を繰り返していたので一つの環境や生活に慣れることなく日々刺激にあふれており、新しい学校に溶け込めるようにと勉強やスポーツ、音楽活動にも積極的に取り組んでいました。しかし、帰国後は大学受験のない付属校に入学し、部活動はありましたが、拘束される時間も少ない環境にいました。その中で、私の場合は、負荷をかけられ、目標を見つけて自分で突破していく方が結果的に楽しみになるのではないかなと気づき、この「七楽の教え」が自分に響いたように思います。

■会社選びも「楽せぬ楽」でしたか?

 就職活動中というよりは、入社した後に、自分なりに「楽せぬ楽」のなかで充実した日々を過ごせるような環境を選びたいと思い、会社選びをしました。
日本航空

【航空】

 日本を代表する航空会社の一つ。従業員数は約11,224人、連結従業員数は31,986人(いずれも2016年3月末現在)。英語表記は「Japan Airlines Co., Ltd.」で、その頭文字から「JAL」の略称で親しまれている。2010年1月に会社更生法の適用を申請。京セラ創業者・稲森和夫氏を会長に招き再建を図った。破綻後わずか2年8カ月後の2012年9月、東京証券取引所に再上場を果たした。