SDGsに貢献する仕事

阪急阪神ホールディングス株式会社

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阪急阪神ホールディングス(阪神タイガース)〈後編〉ビジネスの種も2軍で育てたい【SDGsに貢献する仕事】

2025年11月12日

 SDGs(持続可能な開発目標)関連の業務に携わっている若手・中堅社員に直撃インタビューする「SDGsに貢献する仕事」の第29回。鉄道事業などを展開する阪急阪神ホールディングスのグループ企業である、プロ野球球団・株式会社阪神タイガースの後編をお届けします。阪神タイガース2軍の本拠地「ゼロカーボンベースボールパーク」で、ハード面の整備やスポーツチームの発信力を駆使して脱炭素に取り組む阪神タイガース。ここでの取り組みやビジネスの種を育て、甲子園球場でもいつか展開したいといいます。取り組みを牽引する社員に仕事のやりがい、就活生へのメッセージも聞きました。(編集長・福井洋平)

【お話をうかがった方のプロフィル】
阪神タイガース 事業本部営業部 日鉄鋼板SGLスタジアム尼崎副球場長 矢浪峻介(やなみ・しゅんすけ)さん
2012年慶応義塾大学文学部卒業。同年阪神電鉄入社、甲子園事業部に配属。2018年に阪神タイガース広報担当、2024年から現職。
(前編はこちらから

地域密着で取り組む

■パークでのエコ関連イベント
 ――「ゼロカーボンベースボールパーク」ではエコ関連で設備面を整備するだけでなく、イベントを通じて様々な情報発信もされています。
 地元・尼崎市さんと一緒に2025年6月に「エ虎(コ)フェス」というイベントをやりました。尼崎市環境創造課のみなさんにブースを運営いただいて、市内の企業にも協力いただきました。硬貨やコインの代わりにプラスチックキャップを入れて回せるガチャガチャでは、ペットボトルキャップからアップサイクルしたグッズを提供しました。 ペットボトルを1人10本持ってきてくれたら、コラッキーカードがもらえるなど、環境を楽しく学ぶというコンセプトでした。ボランティアの方々がエ虎クイズラリーのクイズなどをつくってくれましたが、すごくありがたかったです。
 9月の最後の試合には「あまトラフェス」というこの公園全体を使った市民祭りを開催しました。タイガースの試合が行われている隣で市民祭りをして、この公園全体で楽しもうという2日間で、約19,000名の方にご来場いただきました。こちらも市内の事業者や団体にご協力いただいて、廃材を使ったおもちゃを置いたり、ワークショップで鉄の端材を使ってアクリルモンスターをつくったり、SDGsをテーマにしたりと30ぐらいのブースがでました。消防や警察にもご協力いただいています。尼崎市のみなさんとタイガースで祭りをつくるというのは今までなく、新しい掛け合わせとなりました。

 ──阪神タイガースという球団がここまで地域密着を意識されたのは、初めてですか。
 そうですね。今回尼崎市に誘致いただきましたので、南部地域の活性化に向けて、30年ぶりに阪神タイガースが帰ってきたという尼崎市の応援の熱を取り逃さないよう、一緒に地域を盛り上げていきたいと思います。エコと地域連携が、この球場が新しく見出せる価値だと思って取り組んでいます。
(写真はあまトラフェス=阪神電鉄提供)
 ■スポーツチームとSDGs
 ──スポーツチームとSDGsは、近いところにあると思われますか?
 まだ、自分の中では結論は出ていないですが、スポーツのコンテンツと一緒に取り組みを発信できるところに、スポーツの意義があり、ファンの方々にタイガースブランドを通じてSDGs推進に関する呼びかけをすることが、スポーツにできることだと感じています。
あとは、スタジアムとしては年間20万人が来て、いろいろなものを消費し、エネルギーを使っています。だから省エネに努め、捨てられたものをリサイクルして循環する環境をつくることは、大切なミッションだと思います。何ができるか、これからも考えていきたいです。

 ──選手の皆さんの反応はいかがですか?
 (エコのために)「何をやったらいいですか」と言ってくれる選手もいたので、選手にも気づきになっていると思います。毎試合、イニング間に選手のメッセージが流れるので、みんなもう内容を覚えているぐらいです。

ビジネスの種、2軍で育てたい

■今後の展望
 ──この球場に関わられて1年半ぐらいですが、一番手応えがあったのは。
 年間の来場目標を4月の時点で達成(前売販売)したことです。最終的には20万人を超えましたが、これは去年のウエスタンリーグ全体の動員数の半数の数字です。売り上げゼロだった事業にこれだけの効果を持たせることができ、ファンとチーム・選手の接点を新しく生み出すことにもつながりました。

 ──他球団も視察に来られるんじゃないですか?
 他球団もたくさん視察に来ていただいています。「この話、何回説明したかな」と視察疲れしています(笑)。

 ──みなさんの反応がいいのはどんな話ですか。
 室内練習場はみなさん同じ課題を抱えているんですね。夏の暑さで練習に苦戦しています。ここは環境に投資した結果、ものすごく涼しくなっています。すぐにできることではないと思いますが、「参考にします」というところが多いですね。
 それから、自治体との取り組みについては「行政がそこまで一緒にやってくれるんだ」と驚かれますね。

 ──この動き、エコという取り組みも含めてプロ野球界に広がっていきそうですか。
 サステナブル、SDGsの取り組みをしている中で、プロ野球の12球団はいろんな地域で展開しているので、地域の企業や行政と一緒にいろんな取り組みができると思います。
 
 ──もともと1軍で甲子園エコチャレンジに取り組んでいたのが先だそうですが、「もっと一軍でもやろう」ということは?
 当然、あります。スポンサーさんと一緒に新しい環境に関する価値をつくっていくというのがまず基本になります。
 廃油の回収は甲子園とSGLの両方で始めており、それを「SAF」=Sustainable Aviation Fuel(持続可能な航空燃料)にリサイクルしようとしていますが、甲子園ではなかなかできないことをファームでまずやってみて、甲子園でできるようにするのがこの施設の役割です。2軍で鍛えた選手が1軍に上がっていくように、ここでつくったビジネスの種、エコの種が甲子園にという流れができたらいいなと思っております。

さまざまな会社とシナジー効果生み出したい

(写真は阪神電鉄提供)
■阪急阪神ホールディングスとの連携
 ──親会社の阪急阪神ホールディングスとはどう連携していきたいですか。
 これからいろいろやれる余地、伸びしろはあると思っています。阪急阪神ホールディングスの強みはグループ各社で多角的な事業をやっていることです。いろいろな事業部、会社の知恵、力を借りてシナジー効果をあげるような取り組みをやっていけないかと、阪急阪神ホールディングスの「サステナビリティ推進部」を通じて、今後の事業になるべき連携を模索していきたいと考えています。2025年の夏休みには、阪神電気鉄道の「沿線価値創造推進室」と連携して、ARをつかったデジタルスタンプラリーをしました。ベースボールの枠組みを出て、いろいろなグループの強みを取り入れて、一緒に共有してやれることはやろうと考えています

 ──阪急阪神ホールディングスや阪神電鉄のSDGsに対する取り組みで、「これはいいな」と思うものはありますか。
「阪急阪神 未来のゆめ・まち基金」では、地域環境づくりや次世代育成といったプロジェクトに対して助成金を出し、いろいろなアイデアを形にしてもらっています。我々としては野球人口の裾野の拡大や、子どもに向けた啓発活動などはやっていかないといけません。何か一緒にできることはないかと考えています。
 阪急阪神ホールディングスは鉄道事業が祖業ですが、エンタメにも強い企業だと思います。様々なレジャー施設も運営していますし、宝塚歌劇団もあります。沿線の街づくりにもエンタメが大事で、野球を通じて沿線の価値を上げていくことが私たちのミッションです。

鉄道会社は「業種の百貨店」

■矢浪さんの就活
 ──矢浪さんは何年入社ですか。
 2012年入社です。東京出身で、大学も東京でした。

 ──なぜ、阪神電鉄に入られたのですか。
 自分は高校球児で、教員としてスポーツや野球にかかわりたいという思いから大学では教育学を専攻しました。さらに大学のスポーツ新聞で同期の斎藤佑樹さん(元北海道日本ハムファイターズ)などを学生記者として取材していました。神宮球場が満員になっているのを見て、学生野球でこれだけ盛り上がっているのなら、メディアやスタジアムなどでプロ野球に関わる仕事ができる会社に入ってみたい、と思うようになりました。
 いろいろな業界を見ましたが、鉄道事業は「業種の百貨店」と言われ、ホテルも不動産も都市交通、スポーツもある。社内転職をするぐらい、いろんな業種に関わるチャンスがあると思いました。スポーツと鉄道事業が掛け合わさった会社が、阪神電鉄でした。東京出身で関東の企業とも迷いましたが、当時は東日本大震災の影響で関東の企業は就活が止まっていたこともあり、阪神を選びました。

 ──阪神電鉄のどういうところに魅力を感じたのですか。
 やっぱり1つは阪神タイガースと阪神甲子園球場という、日本一の人気を誇るベースボール事業を運営しているところです。沿線を中心にいろいろな事業を展開していますが、沿線の雰囲気が私の出身地である東京の足立区の下町に似ていて、居心地のよさも感じました。就活中に甲子園のグラウンドに入れてもらう機会があり、足を踏み入れたときに「やっぱり、ここだな」と感じました。

 ──ちなみに野球はどこのファンでしたか。
 ジャイアンツファンでした。面接では「プロ野球が好きです」とだけ言っていました。今は阪神タイガースを応援しています。心から応援しています。

 ──阪神電鉄を受けるときに「野球の事業がしたい」という人はいるのですか。
 野球をはじめとしたエンタメ事業を志望する人も多いですし、毎年1人、2人はベースボール事業に配属されています。初期配属は、甲子園球場の入場券担当でした。鉄道業界は全体的に採用人数がそこまで多くないので、入社後すぐに活躍できると思います。

同期で集まると異業種交流会に

 ──就活では、どういうアピールをされましたか?
 東京出身で「変な奴が来たな」と思われたのか、面接では「ホンマにうちに来るんか」と何回も言われました。ただ、野球だけでなくいろいろな事業に挑戦できる機会があるのは鉄道会社の強みだと思っていたので、そこは当然アピールしました。
 今、阪神グループは「ミマモルメ」という子どもたちの安全をITで見守るあんしん事業や、ロボットプログラミングによる教育事業もしています。元々教員志望でしたので、教育事業まで手掛けている事業領域の広さは魅力的でしたし、「野球の仕事をやりたい」と言っても、必ずしもできるものではないので、そうした多角的なビジネスや、いろんなチャレンジができるのが鉄道会社だと思っていました。

■入社後の経歴
 ──縁のない土地での就職はかなり大きな決断だったのでは。
 そうでしたね。もう5年ぐらいで辞めて帰るのかなと。
でも、基本的にやっぱり楽しかったです。自分が好きなスポーツの野球を仕事にすることができて、阪神タイガースの広報として7年間チームに関わり、2年前には日本一になって、優勝旅行まで選手たちと一緒に行かせてもらいました。普通ではなかなかできないようなすごくいい経験をさせてもらい、本当にこの道でよかったと思います。

 ──入社して、甲子園への配属は希望していたのですか。
 希望はしていましたが、いろいろな事業があるので必ずしも希望が通る人ばかりではありません。同期は13人いて、鉄道部門で三宮駅の駅長をした人もいますし、阪神バスや不動産の人もいます。同期で集まるとみんな全然違う事業をしているので、すごく刺激があって、前編でも言ったとおりそれだけで異業種交流会になりますね。

 ──入社後の経歴を教えてください。
 2012年の初期配属は甲子園の入場券担当で、2016年に異動して飲食とグッズ担当になりました。2018年の4月から阪神タイガースに出向し、2024年まで広報部にいました。去年からゼロカーボンベースボールパークの開業準備を兼任して、今年から専任になりました。

矢野監督「誰かを喜ばせる、誰かのために」が支えに

■阪神タイガース広報時代
 ──今までの仕事で、一番大変だったことは。
 広報時代の新型コロナウイルスは大変でした。メディアやチームに感染者を出してはいけないとはいえ、阪神タイガースとしてはマスコミを通じて、選手の情報を世の中に発信して、価値を高めていくことがビジネスの原点になります。コロナ下はオンライン取材で記事を書いてもらっていました。緊急事態宣言のときは2カ月間、接触できなかったので、甲子園で自主練している様子を私が撮影して、オンラインで選手の取材を設定して、スポーツ新聞の紙面づくりをしていました。

 ──本当に大変でしたね。
 夏の甲子園が中止になったときは「甲子園の土のキーホルダー」を全国の高校球児にプレゼントしました。当時の矢野燿大(あきひろ)監督が、開催中止が決定した夜に僕に電話をくれて、「高校球児のために何かできないか」と。矢野監督はただ土を送るだけではなく、監督や選手が土を集めてそれをボトルに入れようと提案してくれ、費用も選手やチームから出してくれました。それを軟式野球、女子野球も含めて全国4000校の高校3年生に届けました。矢野監督の電話から2週間ぐらいで実施発表ができました。コロナで大変な中、「プロ野球球団として何かできることはないか」と悩んでいた期間だったので、思い出深いですね。

 ──コロナ期に支えになったことはありましたか。
 矢野監督の「誰かを喜ばせる、誰かのために」という姿を見ていたので、プロ野球に従事している人間として「本質的にやらなきゃいけないことは何か」というところを見失わずにいられました。ユニフォームを着ている方から、そういう発信をしていただいたのは支えになりました。
 ──阪神タイガースの広報をしてきて、「阪神タイガースが変化してきた」と思われることはありますか?
 どんどん若い選手が入ってきて、野球でも我々の事業でも新しいことにトライをしていく環境になっていると思います。歴史ある伝統球団であるがゆえに逆に変えづらい部分もあったのですが、どんどん新しいことをやっていくという機運はいま、すごく高まっていると思います。

 ──広報時代に一番嬉しかったことは何でしたか?
 2023年の日本一ですね。それこそ家族よりも長い時間、1月のキャンプから日本一まで選手と一緒に過ごして、一番大きな目標を達成できました。それを世の中の人にものすごく喜んでいただいたという経験が一番です。
 広報としてもいい発信ができました。

 ──いい発信とは。
 SNSの運用も担当していたので、YouTubeで優勝の舞台裏を届けました。2023年の7月、背番号24だった元選手の横田慎太郎さんが亡くなり、「横田の思いをみんなが背負う」という気持ちも隠さずに伝えました。優勝が決まった時にマウンドに上がった岩崎優投手は横田と同期で、試合では横田の登場曲「栄光の架け橋」で登場し、優勝が決まった瞬間は横田のユニフォームを胴上げしました。そういうチームの優勝までのプロセスを、インサイドからしっかり発信できて、ファンの方々の心を動かすようなことにトライできたんじゃないかなと思います。

地域に密着しながら「夢・感動」届ける仕事

■仕事のやりがい
──タイガース職員としてのやりがいを教えてください。
 一言で言うのは難しいんですが、まずやっぱりエンターテインメント、たくさんの人たちに夢や感動を届けるのが我々の仕事です。我々が携わることで、誰かの人生が少しの時間でも笑顔になるんだと常に感じながら仕事ができるのが、このエンターテインメント業界、スポーツ業界の面白さかなと。阪急阪神ホールディングスのグループ経営理念は「「安心・快適」、そして「夢・感動」をお届けします」ですが、その「夢・感動を届ける」ことを一番ダイレクトにできる仕事です。

──この球場をどのようにしていきたいと思いますか。
 やっぱりタイガースをより身近に感じて、応援して、愛していただける基点の場所としたいですし、尼崎の地域に根差して、新たな尼崎のシンボルと言われるような場所になるように、地域の方々と一緒につくっていきたいと思っています。

(インタビュー写真・MIKIKO)

SDGsでメッセージ!

 阪急阪神ホールディングスの「安心・快適」そして「夢・感動」を届けるという経営理念のもと、私は阪神タイガースの一員として、スポーツ、野球を通じた事業を展開しておりますが、ほかにも鉄道事業を中心とした都市交通事業や、不動産事業、ホテル事業など、さまざまな事業を展開して「夢・感動」を届けています。久しぶりに同期で会うと、それだけで異業種交流会になるような、本当に刺激の多い鉄道事業ですので、ぜひ阪急阪神ホーディングスに興味を持っていただいて、入社をご検討いただければと思います。
 そして、ぜひゼロカーボンベースボールパークにもお越しいただいて、タイガースを一生懸命、応援していただければと思いますので、よろしくお願いします。

阪急阪神ホールディングス株式会社

【都市交通、不動産、エンターテインメント業など】

 阪急阪神ホールディングスグループは、阪急電鉄・阪神電気鉄道を中心とした都市交通事業をはじめ、不動産、ホテル、商業施設、そして阪神タイガースや宝塚歌劇といったエンタテインメント事業、情報通信、旅行、国際輸送など、幅広い分野にわたる事業を展開しています。  私たちは、100年以上にわたり、人々の暮らしを支え、彩り、豊かなライフスタイルを提案することで、誰もが住みたい・訪れたいと思えるまちづくりを進めています。