就活体験レポート

全国紙記者 内定者の就活体験

悩んで就活留年 ESも面接も見直して第一志望に内定

K.Y.先輩

全国紙記者 内定 法学部 女性

2014年12月18日

「何かしなければ」議員事務所のインターンシップに参加

 就活を始めたきっかけは、「とりあえず何か始めなくては」という焦りの気持ちでした。大学3年生の春に議員事務所のインターンシップに参加しました。記者の方々の仕事を間近でみたことで、以前から持っていた「記者になりたい」という気持ちが高まりました。そこから、受かると筆記試験に点が加算されると聞いて「語彙・読解力検定」と「ニュース・時事能力」検定を受けました。

 大学3年生の6月に「語彙・読解力検定」2級、11月には当時一番上の級だった準1級を取得しました。飽き性な性格だったので、このころは同じ時事問題集を繰り返し解くのではなく終わったら新しい問題集を解いていました。使ったテキストは「朝日キーワード」やニュース検定、日経キーワード、新聞ダイジェストの小さいバージョンなどです。

WEBテストは友人にアドバイスもらいながら

 大学3年生の冬休みはSPIを中心に取り組みました。12月上旬からはマスコミの説明会が始まり、週に2~3社は回りながら、テレビ局用のエントリーシート(ES)とWEBテストに取り組みました。一般企業の採用は早くても2月下旬から本格スタートなので、WEBテストはまだ時間に余裕がある友人たちにアドバイスをもらいながら取り組みました。

 このころは時事問題の勉強として、前年度の4月~この年の12月までの『新聞ダイジェスト』を買って読み込みました。ダイジェストの最後ページにあるキーワードや問題の部分は切り取って試験会場に持ち込みました。
 3年生の2月上旬から一般企業の説明会とテレビ局の面接が始まりました。テレビ局の面接はESに書いたことに軽く触れられる程度で、時間は10分弱と短時間でした。また、受ける人数が多いので関西の局が用意した東京会場はすぐに席が埋まってしまいました。そのため、大阪に10分の面接のために夜行バスで向かうこともありました。

 作文の練習は時間配分と起承転結を意識して練習しました。最初の15分は作文の構成を考える時間、15分で半分書き、残り20分でまとめ部分を書く、残り10分は予備時間……という具合です。

 3月上旬~下旬にかけて全国紙とブロック3紙、通信社とNHKにESを提出しました。同時に企業の説明会やエントリー・ESの締切も重なり、3月中旬ごろは一番忙しかったと思います。

自己紹介は1分弱に縮めて面接官との質疑応答増やす

 3年生の4月上旬からは、全国紙の筆記試験と地方紙のES締切ラッシュが続きました。一方一般企業のほうも各社の説明会・ES締切り・面接が同時並行で進んでいきました。時間短縮のために説明会と面接、または筆記試験がセットになった企業説明会に多く足を運びました。

 マスコミ志望だったのですが、筆記と面接に惨敗しつづけて5月中旬にはマスコミの「持ち駒」がなくなってしまいました。落ち込みましたが、一般企業の選考が続いていたおかげで何とか気持ちを切り替えることができました。

 また、この時期から暗記したことを一生懸命話しても緊張が増すだけだと思い、自己紹介は1分弱程度に収めて面接官との質疑応答の時間を増やしました。マスコミ就活が一般企業の就活に役に立つこともありました。「学生時代に頑張った経験」をA3用紙に30分以内で書かせる筆記試験があったのですが、作文の練習をしていたことで時間内にきちんと書き終わることができました。その後、一般企業から内々定を頂きました。

秋採用もマスコミ全敗 「なぜ記者に?」自信持って答えられず

 7月上旬からマスコミの秋採用に向けてESと筆記試験の対策を始め、7月下旬に全国紙・通信社・ブロック紙など7社に応募。8月中旬から各社の筆記試験が続きました。最終面接まで進んだものもありましたが、9月上旬には全敗に終わりました。ほとんど筆記試験で落ちていたため、諦めるべきではないかと2週間ほど悩みました。しかし、懲りずに9月下旬からまた新しく秋募集を探し、地方の放送局やラジオ局、契約社員など15社にESを送りました。

 そこから面接に進めたのは、北海道のテレビ局2社のみ。2社とも1次試験が筆記ではなく面接でした。聞かれたことは、「なぜ北海道なのか」「なぜテレビなのか」「学生時代の辛かった経験」など。どちらの面接もなごやかな雰囲気で、30分近く面接の時間がありました。

 しかし、ここも最終的に10月上旬に3次面接で落ちてしまいました。「なぜ記者か」と何度も聞かれ、最後まで自信を持って答えられなかったことが理由でした。

 マスコミ就活を振り返ってみると、筆記は全く駄目で何とか進んだ面接も2次選考止まりが多く、最終選考に進んだのは春・秋合わせて2社のみ。就職浪人も考えましたが、「来年受かる自信の根拠は?」と親に聞かれて何も答えられませんでした。本当に記者になりたいのか、落ちて悔しいから意地になっているだけなのでは?と考えるようになり、就活を終了することにしました。一人だけ見込みのない就活を続けていることが恥ずかしくなってきたのも正直な気持ちです。

地方紙のアルバイトに採用され、就職留年を決断

 けれど、その後も諦めが悪いことに電車の中や空き時間に採用情報をチェックしていました。11月中旬に地方紙のアルバイトの募集を見つけ、最後の博打のつもりで応募しました。運良く採用され、このアルバイトを〝受かる自信の根拠〟にもう一度だけ記者職に挑戦することに決めました。そして、6月からマスコミはすっぱり諦めて一般企業に絞って就活するために、卒業ではなく就職留年を選択しました。精神面だけではなく、金銭面においても支えてくれた親には感謝してもしきれません。

就活2年目でES練り直し 1つの項目に体験談は1~2個に

 4年生の2月中旬に「朝日学生キャリア塾」を受けて、改めてこのままではまた落ちると思い、筆記試験の勉強とESを練り直しました。1年目のESでは1つの設問に対して留学、インターン、勉強など自分の経験を短文で詰め込みましたが、今年は1つの項目に自分が長く語れる体験談を1、2個だけ書くようにしました。また、社会人の方々にESと作文を添削して頂きました。

 3月上旬~4月上旬に全国紙・通信社など7社、ブロック紙3社のESを提出、4月上旬~中旬に全国紙の筆記試験、面接が行われました。1、2週間ずれてブロック紙の試験が行われました。また、前回地方紙にはほとんどESを出さなかったことを反省して、23社にESを提出しました。

 地方紙のESは、最初は何を書けばいいのか分からず悩みました。私の場合は時事問題を聞く設問にはその新聞を読んで気になる記事を探して書きましたが、記者の志望理由などは全国紙と同じ内容を書きました。地方紙のES締め切りは4月上旬~5月上旬、筆記試験のピークは4月中旬~5月上旬、面接は1週間~10日の間隔を置いて行われました。ただ、昨年よりも試験が2週間早まった地方紙もありました。

「地方の人や物のすごさ伝えたい」面接で言いたいことは1つに絞る

 地方紙の面接では「なぜ全国紙ではなく、この地域の新聞社を受けたのか?」「記者志望でも営業や総務にも配属されるが問題ないか」という質問を必ず受けました。昨年と違い、その土地の出身者に知識で勝てるわけがないと割り切って、地方紙の魅力や取材の面白さを伝えました。「農家さんのこだわりを知って感動した。それをたくさんの人に伝えたい」など、アルバイトの経験をもとに自信を持って答えることができました。また、取材が本当に楽しかったので感情を込めて話すことができました。配属についてはバイト先で営業や販売部の方たちの仕事を間近で見ていたため、記者職以外の仕事の新聞社での重要性について具体的に話すことができました。この2つの質問は1年目では答えられなかったと思います。経験が実を結んだ瞬間でした。

 地方紙の説明会は、時間がとれなかったので参加していません。ただ、県立図書館で地方紙を読んで気になるものはコピーし、面接で「この地域の良い点・悪い点」を聞かれた時は紙面を引用しました。ほかに、地方に試験を受けにいった際には前乗りして観光名所を回り、ホテルや街頭で町の良さを地元の人に尋ねました。根をつめると疲れてしまうので、面接のためと言いつつ小旅行のつもりでその地域を満喫しました。

 全国紙も地方紙も「地方の人や物のすごさを伝えたい」という事を言い続けました。ESと同じで面接で言いたいことを1つに絞ったことがよかったのかもしれません。就活1年目は自分のアピールしたいポイントや、やりたいことを一気に言いすぎて中途半端になってしまったのだと思います。最終的に5月中旬に第一志望の新聞社から内々定を頂き、最終的に6月頭に就職活動を終了しました。

後輩に伝えたいこと

 大学の就活セミナーで、先輩方が4年生の4月に内定が無くて焦ったとおっしゃっていることがよくありました(※当時は、3年生の12月に企業広報スタート、4年生の4月に選考開始)。けれども、4月以降に応募できる会社が極端に減ることはなく、最大手を目指す人以外は4月に内定が無くても特に悲観する必要はないと実感しました。また、2年目はマスコミだけしか受けませんでしたが、1年目は様々な業界を受けておいて良かったと思います。内定を頂けたことで自分も社会人として働けるんだと安心感を持つことができました。これがなければ2年間も就活への不安に耐えることはできませんでした。この2年間を文章にしてみて、あまりにもいきあたりばったりな就活を続けていたなと痛感しました。後輩のみなさんには私を反面教師にして頂ければ幸いです。