どっちがどっちに賛成?反対?
人工妊娠中絶を禁止するか、銃規制を強めるかどうか――。米国で、意見が真っ二つに割れ、社会の分断が深刻化しています。保守派は中絶禁止に賛成で銃規制には反対、リベラル派は中絶禁止に反対で銃規制には賛成、という構図です。米国内でずっと続く「保守対リベラル」の対立テーマですが、なぜ今、大問題になっているのでしょうか。銃規制については乱射事件が相次いでいることが大きいのですが、すでに退任しているトランプ前大統領の残した「遺産」が大きな影響を及ぼしています。この二つの問題は、支持率が低迷しているバイデン政権にとって重要な11月の米中間選挙でも大きな争点になりそうです。米国内の事情とはいえ、世界一の超大国の行方は、世界情勢や日本の外交・政治経済のあり方をも左右します。就活生のみなさんにとってもひとごとではありません。一から分かりやすく解説します。(編集長・木之本敬介)
(写真は、中絶の権利を認めない米連邦最高裁の判決を受け口論になる中絶容認派の市民〈右手前〉と反対派の集団=2022年6月24日、米ワシントン)
49年ぶり中絶判断覆す判決
米連邦最高裁が6月24日、人工妊娠中絶を憲法で保障された権利として「認めない」判決を言い渡しました。最高裁は1973年に中絶を選ぶ権利を認めていましたが、これを49年ぶりに覆す判決です。今後は州ごとに中絶の禁止・規制ができるようになり、全米50州のほぼ半数が制限に動くとみられています。73年判決以降、望まない妊娠を理由に進学や仕事をあきらめる女性は減ったといわれており、今回の判決には「自分の体のことや人生は自分自身で決めるという女性の自己決定権を認めない司法判断だ」との批判や、「女性の社会進出が妨げられる」といった懸念の声があがっています。レイプ被害への対応を含め、女性の尊厳と健康にかかわる問題です。
中絶は、米国で長く政治争点となってきました。保守的で熱心なキリスト教徒に中絶に反対する人が多く、中絶容認派は誰と家族を作るかは女性自身が決めるべきだと考え、「中絶は人権」との立場です。とくに近年は、民主党支持者が「プロチョイス(中絶容認)」、共和党支持者が「プロライフ(中絶反対)」に分かれる傾向がはっきりして、対立が深まっていました。
(写真は、中絶の権利を認めない米連邦最高裁判決を受け最高裁前に集まる大勢の人々=2022年6月24日、米ワシントン)
世界は中絶規制緩和の流れ
世界では、中絶の規制を緩める国が増えています。国際人権団体アムネスティ・インターナショナルによると、この25年間で50以上の国で中絶の条件が緩和されました。中絶に反対するカトリック信者が多数派を占めるアイルランドは、2018年に国民投票で中絶を合法化。やはりカトリック信者が多い中南米諸国では、性的暴行を受けた、胎児に先天的な異常がある、妊娠の継続が母体に危険を与える――場合のみ中絶を可能とする国が多いのですが、近年、条件緩和を求める市民運動も起きています。
ちなみに日本では、中絶の条件が「母体保護法」で定められており、手術を受けられるのは妊娠22週未満まで。身体的、経済的な理由または暴行や脅迫による妊娠に限られています。加えて、日本で中絶を行うには原則として「配偶者の同意」も必要。これは世界でもまれな規定で、廃止を求める声はあがっていますが、議論は進んでいません。
米最高裁は今回、米国の「歴史と伝統」に中絶は根付いていないとしましたが、中絶に限らずジェンダーや同性愛など少数派の権利を認める流れはいずれも比較的新しいテーマです。今後はこうした権利も見直されるのではないかとの声や、米国の動きが他国に広がることを心配する声もあがっています。
(写真は、全米各地で行われた性的マイノリティーの権利や文化を訴える「プライドマーチ」。中絶を権利として認めない米連邦最高裁の判決に抗議する参加者が目立った=2022年6月26日、ニューヨーク)
世界から懸念の声、バチカンは歓迎
国際社会からも懸念の声が次々と上がりました。
「懸念と共に失望した。今回の判断は、女性の権利と医療へのアクセスを奪うものだ」(世界保健機関〈WHO〉のテドロス事務局長のツイッター)。「米国からのニュースは、恐ろしいものだ。いかなる政府も政治家も男性も、女性の体のことで何ができて、できないかを命じることはできない」(カナダのトルドー首相のツイッター)。「中絶はすべての女性にとって基本的な権利で保護されなければならない。米国の最高裁によって自由が損なわれている女性たちとの連帯を表明する」(フランスのマクロン大統領のツイッター=写真)
一方、カトリックの総本山・ローマ教皇庁(バチカン)で生命倫理問題を担当する「生命アカデミー」は判決を歓迎する声明を発表。「民主主義が根付いた大国で、(中絶問題をめぐる)立場が変わったという事実は、全世界に対する問題提起である。生命の保護について、イデオロギーによらない議論を再開させることが重要だ」と訴えました。
トランプ氏の影
今回の最高裁判決を導いたのは、実はトランプ前大統領です。最高裁の判事は大統領が指名し、上院が承認します。かつては超党派で支持できるよう穏健派を選ぶのが常道でしたが、近年は共和党が保守系キリスト教団体の選挙での集票力に期待し、保守派を推す傾向が強まっていました。現在の最高裁判事の構成は保守派6人、リベラル派3人。保守派の5人が賛同した多数意見で73年判決は破棄されました。多数意見に加わった5人の判事は共和党の大統領に指名され、うち3人はトランプ氏が選びました。トランプ氏は判決後に声明を出し「私が約束通りすべてを実現したからこそ可能になったのだ」と自身の実績を強調。これに対し、バイデン大統領は「判決の中核にいたのは、ドナルド・トランプという1人の大統領に選ばれた3人の判事だ」と批判しました。
銃規制の新法成立の日、「規制は違憲」の最高裁判決
米国独立記念日の7月4日、シカゴ郊外でパレードの最中に銃撃事件があり6人が亡くなりました。5月にはスーパーで10人が死亡した事件があったほか、小学校での18歳の男による銃乱射で21人が亡くなるなど、米国各地で銃乱射事件が続いています。米メディアCNNによると、米国では今年だけで7月5日時点で少なくとも311件の銃乱射事件が起きています。これを受け6月23日、連邦議会で21歳未満の銃購入者の身元確認を強める銃規制強化法が超党派の賛成で成立しました。賛否を二分する銃規制で連邦レベルの立法は約30年ぶりだといいます。
一方で同じ日に最高裁は、自宅外での銃所持に厳格な規制を設けたニューヨーク州の法律を違憲とする判決を言い渡しました。自己防衛のために公共の場で銃を所持する権利は憲法で保障されていると解釈。9人の判事のうち保守派の6人が賛同しました。リベラル派の3人は反対意見で銃被害の深刻さを指摘し、多くの州が銃規制に取り組むなか判決はそれを困難にすると懸念を表明しました。判決によると、似た法律はカリフォルニアなど5州にあり、これらも無効となりそうです。バイデン大統領は「判決に非常に失望している。常識と憲法の両方を否定している」と声明を発表し、各州が銃規制に取り組むよう求めました。
11月の中間選挙に注目
米国は、人口より多い4億丁超の銃が流通する先進国では異例の「銃社会」です。なぜでしょうか。ここには開拓時代からの伝統が絡んでいます。個人が銃を持つ権利が憲法で認められており、「銃は自分で自分を守る自由の象徴」と考える人が多いのです。「全米ライフル協会(NRA)」などの団体の影響力も強く政治家が規制に賛成しないよう圧力をかけてきた歴史があります。保守派の共和党支持者にこの傾向が強く、この問題でも、リベラル派の民主党支持者と対立しています。
中絶禁止と銃規制をめぐる構図は、11月の中間選挙にも影響しそうです。バイデン大統領(写真)は記者会見で、中絶禁止の判決を批判しつつ「戦いが終わったわけではない」と主張。中絶の権利を確保するため連邦法の成立が必要だとし、それを実現させる議員らに投票するよう呼びかけ、民主党支持者にアピールしました。中間選挙は、下院議員全員と上院議員の3分の1を改選する選挙ですが、最高裁の構成にも影響します。最高裁判事の任命には大統領の指名だけでなく、上院の承認が必要だからです。中間選挙に向けた米国内のニュースに注目してください。
◆朝日新聞デジタルのベーシック会員(月額980円)になれば毎月50本の記事を読むことができ、スマホでも検索できます。スタンダード会員(月1980円)なら記事数無制限、「MYキーワード」登録で関連記事を見逃しません。大事な記事をとっておくスクラップ機能もあります。お申し込みはこちらから。