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■中村さんの就活
──中村さんの就活時代を振り返ってください。
入社は2006年で、就活では電機メーカーや食品、化学などさまざまな業界を見ました。当時は今みたいにスマートフォン・ノートパソコンを1人1台持っている時代ではなく、情報の入手手段が限られていました。特に私は田舎の出身で「情報が入ってこない。どうやって入手したらいいのだろう」「知っているということは、すごく強いことだな」と昔から感じていて、それが当時、情報通信に力を入れていた日立に興味を持つきっかけになりました。日立は情報通信技術だけを強みとする会社とは異なり、モノづくりの技術に加え、モノを思った通りに動かすための制御システムもつくっているので、より面白そうだと思いました。日立のことをいろいろ調べて、その幅広いビジネス領域により興味が出ました。ありがたいことに順調に選考が進み、日立から内定が出て、就職活動を終えました。営業職を第一に希望していましたが、複数の希望を選択する中に人事の領域も入れていました。
──採用方法はいまとはだいぶ違ったんですか。
だいぶ違いましたね。当時は一括の「マス採用」でした。内定後に配属面談をして、入社直前の3月に配属の連絡が来ます。入社後はすぐにOJTがはじまりました。
──基本的に新入社員は事業を行う部門に配属されるのですか。
そうですね。特に初任地で本社勤務は少ないと思います。いまはIT・デジタル事業を行う「デジタルシステム&サービス」というセクターへの配属がかなり割合としては多いです。
■入社後の経歴
──2006年以降、会社は激変期を乗り越えてきました。
入社して3年後に、当時製造業最大の赤字が出ました。でも、私は経営に近い仕事の経験が浅く、普段の業務で何か実感するというよりもニュースや新聞で知るインパクトの方が大きかったですね。
会社の中は赤字以降でかなり変わりました。大きかったのは選択と集中で事業そのものを変えていく、形を変えていくという転換です。「日立は社会イノベーション事業をグローバルに展開していく」という方針が打ち出され、それに伴って人財マネジメントが必要だ、変えていこうとなったのがここ15年ぐらいの流れです。
──これまでのキャリアでは、会社の変革などさまざまなことがあったと思いますが、一番大変だったことは何ですか。
私は、日立がジョブ型の人財マネジメントをはじめた頃に本社に異動してきて、処遇企画グループで管理職の処遇制度を変える仕事をしました。グローバルグレードに沿ってどう「ジョブ型」の制度にフィットさせるのかを考えるのが大変でした。その後の採用担当としては、コロナ禍もあって採用活動を全面オンラインに急遽切り替えた対応もあり、これも未知の大変さがありましたね。
──どうやって、大変なことを乗り越えられてきたのですか。
目の前のこと、やらないといけないことだけを見ていたら、走り抜けていたというイメージの方が近いですね。「こんなことをして乗り越えました」と言えるとカッコいいなと思うのですが、正直、突っ走っていたら乗り超えていたという感覚です。
──「ジョブ型」に転換するという会社の動きは、すぐに理解できましたか。
そうですね。ビジネスの変革に併せて人財マネジメントも変えないといけない、だから我々の部門から変わっていこうと、認識を共有したうえで進めていたので違和感はありませんでした。
当時の中西社長のリーダーシップも強かったです。また、それぞれの役員をはじめとするリーダーたちが自部門に方針を噛み砕いて説明し、それぞれの部門で何をするべきなのか、しっかりとクリアにして、丁寧なコミュニケーションを取ったからこそ、この変革は実現できたのだと思います。