大統領が合併阻止する異例の展開
2024年から2025年にかけての年末年始も、大きなニュースが相次ぎました。今回はそのなかでも、1月3日にアメリカのバイデン大統領が日本製鉄(日鉄)のUSスチール買収を阻止する命令を出したニュースについて取り上げます。先週の「週間ニュースまとめ」でも触れていますが、アメリカという国は自由な経済活動をおしすすめる旗頭的存在だったにもかかわらず、日鉄とUSスチールという民間企業の合併を大統領が阻止するという異例の展開の背景には何があるのでしょうか。今回のニュースは、トランプ氏の大統領就任を目前に控えたアメリカという国が今後どういう動きをしていくのかにも大きくかかわってきます。今回のニュースについて基本的なことから振り返ってみましょう。(編集部・福井洋平)
(写真・米ペンシルベニア州にあるUSスチールのクレアトン工場=2024年12月12日、写真はすべて朝日新聞社)
合併で中国企業に対抗
まず、日鉄とUSスチールの合併についてまとめます。
日本製鉄は、2012年に新日本製鉄(新日鉄)と住友金属工業が合併して誕生した日本最大の製鉄メーカーです(合併時の社名は新日鉄住金)。2023年の粗鋼生産量は世界ランキング4位です。一方のUSスチールは、「鉄鋼王」と呼ばれたカーネギー氏や銀行家のJPモルガン氏らが複数の鉄鋼会社を合併して1901年に創業した、こちらもアメリカの名門企業です。戦前は鉄鋼生産で圧倒的なシェアをほこり、自動車など米国の産業を支えてきました。しかし戦後は日本などとの競争が激しく、2023年の粗鋼生産量は世界24位にまで落ちていました。近年、世界の粗鋼の半分以上を生産しているのは中国で、日鉄はUSスチールを合併することで中国企業に対抗し、さらに保護主義を強めていた米国の市場に入り込む意図がありました。
(写真・日本製鉄のロゴ)
日鉄の買収は「安全保障上の懸念」
ところがアメリカのバイデン政権は、日鉄の買収に「待った」をつきつけました。理由は「安全保障上の懸念」です。日鉄の買収計画を審査していた対米外国投資委員会(CFIUS)も日鉄に送った書簡で「日本やインドに主要拠点を持つ日鉄の傘下にUSスチールが入れば、米国での生産が減る懸念があり、その影響は鉄鋼を使うインフラの整備や農機具の生産にも及びかねない」と伝えていました。
アメリカが経済的にライバルとしてきたのは中国です。鉄鋼に関しても、安い中国製の鉄鋼が市場に入ってくることを防ぐため、アメリカは前回のトランプ政権下で中国からの鉄鋼に高い関税をかけていました。それでも競争力の落ちたUSスチールの業績は回復せず、近年は赤字を計上する年が増え、2023年夏には自ら「身売り」を宣言していました。中国企業の傘下に入ってしまうよりは、同盟国の日本企業と手を組むほうがアメリカの「経済安全保障」にはいいはずです。日鉄側が困惑したのも当然のことです。
(写真・USスチールの工場入り口の看板=2024年12月12日)
アメリカ大統領選により政治問題に発展
味方として手を組んだはずの国から、なぜ砂をかけられるような仕打ちを受けているのでしょうか。
要因のひとつは、労働組合です。USスチールの従業員を含む120万人の組合員らを抱える全米鉄鋼労働組合(USW)が、「日鉄による買収では組合員の雇用や年金などが保障されない」と強く主張し続けたのです。日鉄は組合の理解を得ようと、「本買収によるレイオフ(一時解雇)や工場閉鎖はない」と書面で確約するなどあの手この手で説得を続けてきましたが、溝は埋まりませんでした。
さらに、昨年行われたアメリカ大統領選により、買収は政治問題になりました。トランプ氏が2024年1月に「即座に阻止する。絶対に」と買収への反対姿勢を表明。3月にはバイデン大統領も事実上の買収反対を訴えています。USスチールの本拠地やUSWの本部がある米東部のペンシルベニア州は、大統領選の勝敗のゆくえを決する大激戦区でもありました。両者の発言は、ペンシルベニア州での集票を目的にしたともみられています。
日鉄は当初、アメリカの省庁を横断する組織であるCFIUSで、買収が「承認」されることを狙いました。CFIUSは審査対象の案件に安保上の心配点があれば、それを大統領に勧告し、大統領は承認か不承認かを決めるという仕組みになっています。日鉄は9月以降、CFIUSと協議を重ねてきましたが、「承認」を得ることはできませんでした。CFIUSは最終判断をバイデン大統領に委ねることになり、1月3日の買収阻止命令につながったわけです。過去、大統領が職権で不承認としたCFIUS案件は8件あり、そのほとんどは中国系企業が絡んだ案件だったそうです。アメリカと密接な関係を築いてきた日本企業の買収が阻止されるのは非常に異例のことです。
日本製鉄は米政府を訴える構え
日本製鉄とUSスチールは当然、この決定に反発しています。日鉄は1月6日、禁止命令を不服として、バイデン米大統領らを提訴したと発表しました。USスチールも原告に加わっています。USスチールとの共同声明では「米国で事業を遂行することを決してあきらめない」と強調。USスチールのCEOも「(禁止命令は)恥ずべきもので、腐敗している」「重要な同盟国の日本を侮辱している」などと厳しい言葉で批判をならべています。USスチールは買収が破談になれば、本拠地ペンシルベニア州の工場の閉鎖や、人員整理に踏み切ることも示唆しているそうです。USWが労働者の権利を守るとして買収に強固に反対したことを考えると、皮肉な展開ともいえます。
今回の買収禁止の命令は、アメリカの経済にも影響を及ぼす可能性があります。手を組んできた日本の企業ですら買収ができない、ということになれば、アメリカ企業への投資はリスクだと考える外国資本は増えるでしょう。そもそもバイデン氏は大統領就任後、一貫して海外からの対米直接投資を歓迎してきたという経緯があります。にもかかわらず日鉄の買収を禁止したことは矛盾といえるでしょう。一方のトランプ氏も、第一次政権期は鉄鋼に高い関税をかけていたわけで、USスチールが日本製鉄の投資で生き返ることは彼の「米国第一主義」にも合致しそうなものなのに、強い反対姿勢を示したことは整合性がとれていません。
(写真・日本製鉄の橋本英二会長=2025年1月7日)
アメリカは「冷静さを欠いた判断」
かつて鉄鋼業界のトップに君臨していたUSスチールは、アメリカにとって特別な存在です。買収のニュースが出た時は、「あのUSスチールを新日鉄(=日本製鉄の前身)が買収するなんて本当にできるのか」という声も鉄鋼業界OBから聞かれたほどです。そのネームバリューが冷静な判断を失わせているのでは、と思わせる展開です。石破茂首相は1月13日のテレビ会談で「日本のみならず、米国の経済界からも強い懸念の声が上がっている。懸念の払拭を強く求める」とバイデン大統領に伝えたそうです。アメリカという国の「理不尽」に日本がどう対応するかは、今後の両国間の関係を左右する重要な問題になっている、と思います。
アメリカは、自由な経済活動を推進する大ボス的存在でした。そのアメリカが冷静さを欠いた判断をするようになったことで、ただでさえ戦争が続いてリスクが増している国際的な経済活動への障壁がさらに増したようにも思います。これから社会に出て行く就活生のみなさんは志望業種を問わず、ますます国際ニュースの動きに目を光らせ続ける必要が高まったと言えるでしょう。
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