映画「バービー」のファンアートが問題に
全米でヒットしている映画『バービー』をめぐり、主人公であるバービーが原子爆弾のキノコ雲を背景に笑っているファンアートを公式アカウントが好意的にリツイートし、日本で騒動になっています。
世界で仕事をするにあたっては、さまざまな国のもつ「歴史」と「アイデンティティー」に敏感である必要があります。テクノロジーが進み、AIが発達しても、最後に仕事の成否を決めるのは人です。その人がもつアイデンティティーを尊重しなければ、仕事はきっとうまくいかないことでしょう。今回のバービー騒動では日本は「被害者」ですが、自分たちが「加害者」となることも十分にあります。バービー騒動を理解し、自分たちにもひきつけて考えてみましょう。(編集部・福井洋平)
(写真・映画館前に貼られた「バービー」のポスター(左端) =2023年8月11日)
日本の配給会社が謝罪
まずは「バービー」騒動を振り返ります。着せ替え人形のバービーが人間の社会を訪れる実写版コメディー映画「バービー」がアメリカで7月に公開され、興行収入が今年最高を記録するなど話題を呼んでいます。この映画と同じ日に公開されたのが、原爆開発者であるロバート・オッペンハイマーを描いた「オッペンハイマー」。どちらの映画も見てほしいと考えたファンたちが、バービーの髪形を原爆のキノコ雲のように加工したり爆発を背景に笑顔を見せたりするファンアートをSNS上に投稿したのです。それに対して、映画「バービー」の米国の公式アカウントが「記憶に残る夏になる」などと好意的な反応を返し、日本のSNSで「不謹慎」という声があがる騒動となった――というのが、問題の経緯です。「バービー」を配給する映画会社ワーナーブラザースジャパンは7月31日、米国本社の映画のX(ツイッター)の公式アカウントが配慮に欠けた反応をしたとして、謝罪する書面を公表しました。
被爆の実態を知る日本からすれば、原爆にまつわることがらをポップに、ポジティブに描くアートは許容できる範囲ではなく、問題視されることは当然と思います。一方で、なぜこんな表現をアメリカ側が許容したかについてもせっかくですので知っておきたいところです。
(写真・日本の公式アカウントに掲載された書面)
コロナ禍経て話題作の登場に米映画が盛り上がり……
日本在住歴の長い放送プロデューサーのデーブ・スペクターさんは、騒動が起こった背景にアメリカの映画事情があると8月10日の「朝日新聞 」で指摘しています。コロナ禍でオンラインでの動画視聴が広がり、映画の興行収入は落ち込みました。そんな中でインパクトのある作品二つが同時に公開され、「映画好きの人や映画産業で働く人は、うれしくて盛り上がっちゃったんですね」とスペクターさんは語ります。
この映画を2本立てで見てほしいという思いで、「バービー」と「オッペンハイマー」をくっつけた「バーベンハイマー」なる造語まで生まれました。いまアメリカの映画俳優や脚本家はストライキに入っていて、宣伝活動も制限されています。ファンが悪のりしてつくった画像に、つい公式アカウントも好意的に返信してしまった――。画像を加工したファンも公式アカウントも「おそらく悪気はなく、思いつきでやったのでしょう。正直、なんにも考えていないと思いますよ」とスペクターさんは記事で述べています。
原爆に対する考え方に世代差も
太平洋戦争期の広告やナショナリズムに詳しい編集者の早川タダノリさんは8月15日の朝日新聞の記事で、「ファンアートの多くは1950年代からみられた原水爆をめぐるポップな表象を踏まえたもの」と語っています。当時、アメリカでは核実験を一つのショーとして楽しみ、見学ツアーまで組まれ、核実験のスペクタクルが「観光」化されていたそうです。今回問題となったファンアートは、この文脈を踏まえたものとも解釈できるといいます。原水爆をポップにとらえるアメリカの文化的素地が、今回の騒動につながったともいえそうです。
アメリカではそもそも、原爆投下は日本との戦争の終結に必要だったと語り継がれてきました。米調査機関が2015年に行った世論調査では、米国人の56%が原爆使用は「正当だった」と回答しています。しかし、65歳以上の70%が「正当だった」と答えたのに対して18~29歳では47%で、世代間で差が見られました。慶応大の渡辺靖教授(現代米国論)は「米国の教育現場では『脱中心化』『多文化主義』が進んでおり、様々な視点や立場でディベートするなどして米国を捉え直そうとする動きもある」と朝日新聞の記事で指摘しています。
(写真・原爆の犠牲者を悼み、原爆ドーム前の元安川に流された鎮魂の灯籠=2023年8月6日)
ナチスめぐる表現で東京五輪にも影響
今回のバービー騒動では「傷つけられる」側となった日本ですが、もちろん状況によっては他国の文化やアイデンティティーを「傷つける」側となることも十分認識しなければいけません。たとえば、「ナチス」に関する表現です。2021年の東京五輪で、開閉会式のディレクターに任命されていた劇作家がお笑い芸人時代のコントで「ユダヤ人虐殺ごっこしよう」というセリフをつかい、ナチスドイツが行ったホロコースト(ユダヤ人虐殺)を揶揄(やゆ)したとして解任された騒動は、記憶に新しいところです。8月14日には、日本最大の同人誌即売会コミックマーケット(コミケ)に参加したサークルがナチス親衛隊の制服を着てX上に宣伝を投稿し、批判を受けて謝罪文を掲載しています。ナチスについて扱う際は、彼らのやったことについて十分理解し慎重に考えたうえで行う必要があります。
少し前ですが、2018年にはモンゴルの英雄であるチンギス・ハーンの肖像に男性器の落書きをする漫画が子ども向け漫画誌に掲載され、モンゴル政府からの抗議を受けて雑誌の販売が中止になるという騒動もありました。単なる下ネタギャグの題材に肖像画を使ったことが問題視されたと考えられます。
(写真・ミュンヘン大学にある反ナチスのビラをかたどったモニュメント。白いバラが捧げられていた=2021年)
「知らなかった」ではすまないことも
人が何をアイデンティティーとして大切に思い、傷つけられたら怒るのか、その答えは人によって幅広くさまざまです。宗教や文化、性自認などいろいろな要素がその人を構成しています。仕事をしていくうえでは、想像力を働かせて個々の人とちゃんと向き合い尊重する姿勢を見せることがなにより求められるでしょう。
その中では、国や民族にまつわるアイデンティティーは事前に把握しやすい分野です。世界の人たちと仕事をしていくうえで、最低限相手の国や民族がNGというテーマは何なのか、知識を得ておくことはとても大切なことだと思います。「知らなかった」ではすまないことも、世の中にはあったりします。バービー騒動を機に、世界で仕事をするときの基本的な「配慮」の重要性についてぜひ考えてみてください。
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