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2017年07月18日

金融志望者は「20年前の教訓」を知ろう!

銀行・証券・保険

バブル崩壊の怖さ思い知った1997年

 就活生のみなさんが、まだ赤ちゃんの頃でしょうか。1997年は金融業界にとって忘れてはならない年になりました。7月のアジア通貨危機が世界経済を揺さぶり、11月には三洋証券、北海道拓殖銀行、山一証券が破綻し、日本経済が揺さぶられました。あちこちの金融機関に顧客が押しかける異様な事態になりました。バブル崩壊後の不動産や株の値下がりに苦しんでいた金融機関がドミノ倒しのように破綻(はたん)や合併に向かい始めました。そして大勢の金融マンが転社や転職を余儀なくされました。日本人はバブルの怖さを思い知らされましたが、20年たって怖さを知らない世代が増えています。
(2017年7月16日朝日新聞デジタル)
(図表は、アジアの金融をめぐる1997年以降の主な出来事です)

アジア通貨が暴落

 アジア通貨危機は、欧米のヘッジファンドがアジア各国の通貨を空売りしたことで始まりました。タイのバーツ、インドネシアのルピア、韓国のウォンが次々に売られました。これらの通貨はドルと連動する仕組みをとっていましたので、アメリカの強いドル政策によって実力以上に高くなっていました。そこを狙ってヘッジファンドが売り浴びせたのです。各国はドルを売って自国通貨を買い支えようとしましたが、持っているドルが足りず、変動為替相場制にするしかありませんでした。その結果、これらの通貨は暴落し、ドル建ての債務を返済することができなくなったり、物価が大幅に上がったりして、経済がめちゃめちゃになりました。結局、国際通貨基金(IMF)の支援を受けることになり、この3国の経済運営はIMFが握ることになったのです。
(写真は、通貨危機で工事が止まったタイの高架鉄道の橋=1998年8月20日撮影)

山一破たんで取り付け騒ぎ

 もともと変動為替相場制だった日本の円はヘッジファンドに狙われることはありませんでしたが、アジア各国の経済がめちゃめちゃになったため、融資の焦げ付きが増えました。もともと日本の金融機関はバブルの崩壊によって多額の不良債権を抱えていたり、損失を隠していたりしていました。いつ倒れてもおかしくない状況の時に、アジア通貨危機が起き、11月についに力尽き始めました。上旬に準大手証券会社だった三洋証券が、中旬に都市銀行だった北海道拓殖銀行が、下旬には4大証券会社の一角だった山一証券が破綻しました。特に山一証券の破綻は大きな衝撃を社会に与えました。山一破綻後の11月下旬から12月にかけて、次をうわさされた金融機関に大勢のお客さんが押し寄せ、取り付け騒ぎといってもいい光景がありました。
(写真は、破綻を受け会見で謝罪する当時の山一証券野沢正平社長。「私らが悪いんです。社員は悪くございません」と涙する姿が大きく報道された=1997年11月24日撮影)

地銀や生保にも波及

 翌年には、日本長期信用銀行、日本債券信用銀行という二つの大きな銀行が破綻しました。金融機関の破たんは、地方銀行や生命保険業界にも波及し、金融パニックの様相を呈しました。並行して、合併、統合が進みました。都市銀行と長期信用銀行のほとんどは結局、みずほ銀行、三菱UFJ銀行、三井住友銀行の3行に集約されていきました。監督官庁だった大蔵省は批判にさらされ、接待汚職の逮捕者を出したあげく、財務省と金融庁に分割されました。1997年からの数年間は日本の金融業界が大揺れに揺れた時期でした。

賢者は歴史に学ぶ

 「金融業界は安定している」というイメージを持っている人は多いと思います。しかし、この時期に大人だった人は、そのイメージが間違っていたことを思い知らされました。時代の変化に気づかず、みんながやっているからとイケイケどんどんで経営していると、金融機関とはいえ破綻します。しかも他の業界と違って金融業界は各社の経営内容が似ているため、危ない時は業界全体が危なくなるという特徴もあります。もちろん、そんな事態は数十年に一度でしょうが、破綻もあり得るのだということは知っておいたほうがいいと思います。ドイツの政治家ビスマルクの言葉に「愚者は経験に学び、賢者は歴史に学ぶ」があります。金融業界を目指す人は、自分で経験していなくても1997年から起こった金融の歴史から学んでください。アベノミクスによる「異次元の金融緩和」でじゃぶじゃぶになっているマネーが暴れだして、円や国債や株価が暴落する事態は今後十分に起こり得ると思いますから。

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