中島隆の輝く中小企業を探して 略歴

2014年02月25日

100年もつ家をつくる会社 (第11回)

ふたつの大地震にも耐えた木造の建物

 現在のみなさんには、すこし遠い問題です。でも、将来、かなりの確率で、直面する問題です。
 それは、住宅ローンです。月々、そしてボーナスで、こつこつ返しつづける。それも、何十年もにわたってです。仮に、みなさんが30歳で家を買ったとしたら、35年ローンが終わるのは65歳、35歳だと70歳、40歳だと……。考えるだけでイヤになります。かくいう私も……。

 なぜ、おおくの人が住宅ローンに苦しまなくてはならないのでしょう。それは、家そのものが、30年とか40年たつと古くなってしまい、建て替えなくてはならなくなるからなのです。
 いったん建てたら100年はもつ、という家があったとします。すると、どうでしょう。たとえば、あなたが家を建てます。その家は100年もつわけですから、あなたのお子さんの代は、住宅ローンを組む必要がなくなります。おそらく、お孫さんの世代も、セーフです。つまり、ローンの苦しみから、子どもを、孫を解放することになるのです。
 では、100年もつ家、ってどんな家でしょうか。おそらく、おおくの方は、鉄筋とコンクリートをつかった家を想像するでしょう。木造、を想像した人はいないのではないでしょうか。

 じつは、木造で100年もつ家をつくる会社が、山形市にあります。その名は「シェルター」。工務店の4代目だった木村一義さん(64)がつくった会社です。社員は100人あまりで、日本中で、そんな100年木造住宅を建てています。
 木造の建物は、じつは頑丈なんです。奈良の法隆寺をみれば分かるでしょう。
 さらに、木村さんの会社は、木材と木材の継ぎ目に金属をつかってボルトでしっかり固定しているのです。
 じつは木村さんの会社でつくった建物は、ふたつの大地震にも耐えました。
 ひとつは、阪神大震災。神戸市のある駅のまわりにあった建物は、全滅しました。ところが、ポツンとひとつだけ、3階建ての白い家が残っていました。この家を建てたのが、木村さんの会社でした。
 そして東日本大震災。大地震と大津波で、建物ががれきと化していきました。ところが、宮城・南三陸町にあった木造のある公民館は、壁はやられてしまったものの、柱などはしっかり残りました。この公民館をつくったのが、木村さんの会社だったのです。
 また、宮城・石巻で、避難場所に指定されていたある場所は、コンクリートでした。そこは津波で流され、おおくの方が命を落としました。ところが、避難場所のすぐ横にあった木造の建物部分は、無事でした。この木造の部分をつくったのが、木村さんの会社だったのです。

 100年もつ家をつくる。木村さんはそう宣言して、木造の建物をつくってきました。ただ、本当に100年もつの? という冷めた見方をする人がいたのも、事実です。大震災を乗り越える建物をつくっていたということで、冷めた見方をする人は、いまはほとんどいません。
 いま、木村さんの会社は、つぎのチャレンジに向かっています。
 それは、木造のビルをつくることです。13階建てまでならつくることができるそうで、国からまもなく、そのお墨付きが出る予定です。

 就活で、みなさんも都会のコンクリートジャングルを歩くでしょう。あと数カ月すれば、夏です。熱帯のような暑さを、みなさんは経験すると思います。
 都会に木のビルがあったら、どうでしょう。熱帯のような暑さが、多少なりとも和らぐこと間違いなしです。
 都会をコンクリートジャングルから森に変える。そんな夢に向かって。木村さんの会社は、今日もがんばっています。

社長の木村一義さん。「この本社も、もちろん木造です」。新卒採用にも積極的。勤務地は原則として山形か東京だ。